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| 死去=[[1938年]]([[民国紀元|民国]]27年)[[11月13日]]<br/>{{CHN1928}}[[上海市]]
| 出身地={{QIN1890}}[[江蘇省]][[上海市|松江府上海県]][[浦東新区|浦東]]
| 職業=実業家・書画家・銀行家・政治
| 簡体字={{lang|zh-hans|王一亭}}
| 繁体字={{lang|zh-hant|王一亭}}
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| ラテン字=Wang I-t'ing
}}
'''王 一亭'''(おう いってい)は[[清|清末]][[中華民国|民初]]に活躍した実業家・[[書画家]]・銀行家・政治家である。上海を中心に活動した実業家・銀行家として著名である一方、[[中国同盟会]]にも参加した革命派の人物である。また、画家としても優れた業績を残し、仏教徒としての活動も顕著であった。[[名]]は'''震'''だが、[[字]]の'''一亭'''で知られる。[[号 (称号)|号]]は'''梅花館主'''、'''海雲楼主'''、'''白龍山人'''と称した。
 
== 事跡 ==
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[[1938年]](民国27年)11月13日、上海で死去。享年72(満70歳)。
 
=== 画家・仏教徒としての業績 ===
学徒の時代から書画熱が高じ、この頃に[[任頤|任伯年]]に就いて絵を学ぶ。[[山水画]]は[[呉鎮]]に師法した。[[人物画]]、[[花鳥画]]、[[仏画]]に優れ晩年にはほとんど毎日仏像を画いた。[[呉昌碩]]とは師友となって親しく交わった。また、上海昌明芸術専科学校校長にも任命されている。