「アンドレ・ドラン」の版間の差分

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[[1898年]]、アカデミー・カリエールに入学。そこでマティスや[[アルベール・マルケ|マルケ]]と知り合う。[[1900年]]、独学で絵を描いていた[[モーリス・ド・ヴラマンク]]と知り合う。ドランとヴラマンクはシャトゥーに共同のアトリエを設け、以後しばらく共同制作をする。
 
[[1905年]]には、マティスとともに[[コリウール]]に滞在し制作する。地中海に面した港町コリウールの豊かな色彩は2人の画家の作風に決定的な影響を与えた。この年の秋、サロン・ドートンヌで、彼らグループの作品が集められた部屋は批評家ルイ・ヴォークセルによって「野獣の檻」と称せられた。これが野獣派(フォーヴィスム)の名の由来である。
 
1905年末から1906年初めにかけて、[[画商]][[アンブロワーズ・ヴォラール]]の勧めでロンドンに滞在し、テムズ川沿いの風景を描く。1907年からは[[パブロ・ピカソ|ピカソ]]など「洗濯船」(バトー・ラヴォワール)の画家たちとも交流するようになる。