「峰山藩」の版間の差分

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宗家である[[宮津藩]]の[[京極氏|京極家]]はほどなく[[改易]]され、[[丹後田辺藩|田辺藩]](舞鶴藩)の京極家も[[但馬国|但馬]][[豊岡藩|豊岡]]へ転封となったため丹後一国を領した[[京極高知]]の所領も、結果的にはこの峰山藩の1万3,000石だけが丹後に残るだけとなってしまった。
 
江戸中期の享保年間に京の[[西陣]]で修行を積んだ[[絹屋佐平治]]が伝えた[[ちりめん]]の技法を元に[[丹後ちりめん]]が生み出され、藩財政を潤す特産品となった。
 
第6代藩主・[[京極高久]]は[[若年寄]]となった。この高久は、小説『[[鬼平犯科帳]]』において、鬼平こと[[長谷川宣以|長谷川平蔵]]の良き理解者として登場する人物としても有名である。