「岩崎橋 (大阪市)」の版間の差分

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当橋は[[大正]]9年([[1920年]])[[12月]]の岩崎運河の開削と同時に架設され、当時は[[大阪市電]]の[[大阪市電九条高津線|九条高津線]]が走っていた。名称の由来は当時の町名であった西区岩崎町(旧 [[西成郡]]岩崎新田)より。
 
その後、全国の橋が[[鉄橋]]から鉄筋コンクリート橋へ次々と架け替えられた風潮を受けて、岩崎橋は大阪市内で初めての鉄筋コンクリート橋に替えられた<ref group="注釈">当時、[[中之島 (大阪府)|中之島]]の難波橋でさえ、鉄橋と鉄筋コンクリート橋の混合橋であった。</ref>。その後に続いて、[[道頓堀]]の[[戎橋]]の架け替えが行われた。
 
[[昭和]]40年([[1965年]])[[5月]]・昭和49年([[1974年]])[[3月]]には拡幅が行われ、現在の状態になった。[[平成]]13年([[2001年]])・14年([[2002年]])の秋には、当橋と[[岩松橋]]との間の[[尻無川 (大阪府)|尻無川]]護岸壁(大正区側)に「描こう!わがまち大正ギャラリー」と題して、大正区民によって未来の町並みなどの絵が描かれた。