「アドルフ・アダン」の版間の差分

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[[1825年]]にボイエルデューの『白衣の貴婦人』の上演を手伝い、そのピアノ・スコアを作成した。稼いだ金で気軽にヨーロッパ各地を旅行し、[[ジュネーヴ]]で、後の協力者となる台本作家の[[ウジェーヌ・スクリーブ|スクリーブ]]と出逢った。アダンは作曲の筆が速く、[[1830年]]までに28曲の舞台音楽を完成させている。
 
[[パリ国立オペラ|オペラ座]]の支配人と口論の末にアダンは、自ら出資し、莫大な借金を重ねて、[[1847年]]にパリで3つ目の歌劇場、テアトル・ナショナル座を開設した。だが翌年の[[1848年革命]]によって閉鎖に追い込まれ、目も眩むような借金だけが残った。一時期ジャーナリズムに戻って、窮地から逃れようとした。[[1849年]]から没年まで、パリ音楽院作曲科で教鞭を執っている。パリに没し、[[モンマルトル]]墓地に埋葬された。
 
== 評価 ==
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[[Category:バレエ作曲家]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:パリ国立高等音楽・舞踊学校の教員]]
[[Category:1803年生]]
[[Category:1856年没]]