削除された内容 追加された内容
LaaknorBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: zh:曹禮
編集の要約なし
1行目:
'''曹 礼'''(そう れい、? - [[229年]])は、[[三国時代 (中国)|三国時代]]の人物。[[魏 (三国)|魏]]の[[皇族]]。父は[[曹丕]](文帝)。母は徐姫。[[字]]は不明。[[諡]]は元城哀王。
 
== 生涯 ==
魏の文帝の9人の子の1人。
[[221年]]、秦公に封じられ、京兆郡を領国とした。[[222年]]、領国はそのままで、京兆王と改称した。[[225年]]、元城王に改封された。229年、死去。享年は不明。後は、任城王[[曹楷]]の子[[曹悌]]が[[231年]]に継いだ。
 
[[黄初]]2年([[221年]]、秦公に封じられ、[[京兆郡]]を領国とした。黄初3年([[222年]]、領国はそのままで、京兆王と改称した。[[225年]]、元城王に改封さめられた。229年、死去。享年は不明。後は、任城王[[曹楷]]の子[[曹悌]]が[[231年]]に継いだ
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』明帝紀注引『[[魏略]]』によると、文帝曹丕は郭皇后に養育されるのを喜ばない長子[[曹叡]]に替えて京兆王曹礼を後継ぎに考えたという。
 
『[[三国志 (歴史書)|三国志]]』明帝紀注引『[[魏略]]』によると、文帝曹丕は郭皇后に養育されるのを喜ばない長子[[曹叡]](明帝)に替えて京兆王曹礼を後継ぎに考えたという。
 
黄初6年([[225年]])、元城王に改封された。
 
[[太和 (魏)|太和]]3年(229年)、死去。享年は不明。
 
太和5年([[231年]])、任城王[[曹楷]]の子[[曹悌]]が命を受けて曹礼の跡を継いだ。
 
{{DEFAULTSORT:そう れい}}