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'''小幡 信貞'''(おばた のぶさだ、[[天文_(元号)|天文]]9年([[1540年]]) - [[文禄]]元年([[1592年]])11月21日)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。別名に信実、信真、信定。通称は尾張守、上総介。正室は[[長野業正]]の娘。養嗣子に[[小幡信定]]。
 
{{武士/開始|小幡信貞}}
{{武士/時代|戦国時代}}
{{武士/生誕|[[天文_(元号)|天文]]9年([[1540年]])}}
{{武士/死没|[[文禄]]元年([[1592年]])}}
{{武士/別名|尾張守、上総介(通称)、<br />信実、信真、信定}}
{{武士/主君|[[山内上杉家|山内上杉氏]]→[[武田氏]]→<br />[[織田氏]]→[[後北条氏]]→[[真田氏]]}}
{{武士/氏族|[[小幡氏]]}}
{{武士/父母|父:[[小幡憲重]]}}
{{武士/妻|[[正室]]:'''[[長野業正]]の娘'''}}
{{武士/子|[[小幡信定]](養嗣子)}}
{{武士/終了}}
 
== 概略 ==
父は上野小幡氏の[[小幡憲重]](重貞、重定)。(ただし、[[小幡重貞|重貞]]と名乗ったのは信貞とも、[[小幡信真|信真]]や[[小幡信定|信定]]は信貞の子の名ともいわれ、はっきりしない)。尾張守、上総介を称す。[[上野国|上野]][[国峯城]]城主。『[[甲陽軍鑑]]』によれば憲重と併せて500騎持ち。
 
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[[1590年]]の[[小田原の役]]で[[北条氏]]が滅亡すると、武士を辞め、[[真田幸隆|真田幸綱]]の流浪時代から武田氏時代を通じて親交の深かった[[真田氏]](当時の当主は[[真田昌幸|昌幸]]で勝頼時代は上野方面攻略の責任者)を頼り、そこで余生を送った。1592年に死去。[[享年]]52。
 
一説では、父の憲重は大永年間に死去し、父の憲重の事績とされる事柄は信貞のことだとも言われている。また、[[赤備え]]の部隊を率いた勇猛果敢な武将であり、[[信長公記]]中の長篠合戦の項に小幡勢について「馬上巧者」の記述がある。[[武田二十四将|武田氏24将]]の一人として数えられる。長篠の戦いで戦死したともいわれることがあるが、戦死したのは信貞の弟とされている。
 
== 関連項目 ==
一説では、父の憲重は大永年間に死去し、父の憲重の事績とされる事柄は信貞のことだとも言われている。また、[[赤備え]]の部隊を率いた勇猛果敢な武将であり、[[信長公記]]中の長篠合戦の項に小幡勢について「馬上巧者」の記述がある。[[武田二十四将|武田氏24将]]の一人として数えられる。長篠の戦いで戦死したともいわれることがあるが、戦死したのは信貞の弟とされている。
{{武士/氏族|*[[小幡氏]]}}
===;小説===
*[[池波正太郎]]『夫婦の城』([[新潮文庫]])・『黒幕』収録)・1991年
 
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===小説===
*[[池波正太郎]]『夫婦の城』([[新潮文庫]])・『黒幕』収録)・1991年
{{DEFAULTSORT:おはたのふさた}}
[[Category:小幡氏|のふさた]]
[[Category:戦国武将]]