「貴族制」の版間の差分

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射丸蔵 (会話 | 投稿記録)
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== 貴族制の歴史 ==
「アリスト(ス)」という言葉は、[[アテナイ]]でもともと軍の先頭に立って剣を抜く若い[[市民]]に対しての表現だった。古代ギリシアでは戦における勇敢さは非常に高い美徳であったため、軍隊は「最上の者」によって率いられていた。[[中世]]ヨーロッパにおいて、[[貴族]]は建前上は軍の先頭に立つことになっていたため、貴族は古代ギリシアでのエリート市民同様に、自分たちの軍隊での役割ゆえに自らを「最上」で「高貴」とみなし、同じくエリート市民同様に[[奴隷]]を持てる特権階級となっていた。{{要出典範囲|その高貴さ、最上さは[[教会]]が保障していた。|date=2009年5月}}
 
[[フランス革命]]の主な原因として、伝統的な貴族制がもはや「最上の者による支配」という理念を、建前の上ですら維持しがたくなってしまったことがあげられる。[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]時代の軍隊の近代化で、貴族は建前の上ですら、もはや軍の先頭に立つ必要がなくなり、完全に安全地帯から部隊を指揮するようになっていた。危険を冒す伝統的な建前慣習を放棄したとき、その建前で正当化されていた伝統的な特権も維持するのはもはや困難となった。
 
フランス革命では、貴族は建前としての果たした役割でなく、実態として生まれによってその地位を得た特権階級という面が強調され、このような不要な階級は新興の[[ブルジョワ]]や[[リベラル]]な一般人の敵とされた。以後、「貴族」という言葉は、生まれながらにして前線で戦死する機会を主張する人々のことではなく、生まれながらにして贅沢や特権を主張する人々の象徴となり、本来の意味からは遠くなってしまった。
 
貴族制に対する闘争はフランス革命後の反動期にも続き、特に欧州全土で起こった[[1848年革命]]においては非常に激しいものがあった。ヨーロッパで貴族制がいつ終焉したかは異論があるが、だいたい[[第一次世界大戦]]の終わった[[1918年]]には貴族制は[[民主制]]に取って代わられ、以後貴族は実態的な権力のない社会の飾りとなっている。貴族制が壊れた後、富と権力を持つ特権階級としての地位は資本主義国のブルジョアジーや、共産主義国の共産党幹部に取って代わられた。彼らも、資本主義経済における勝者としての義務や、共産主義理念における人民の先導者としての義務といった、かつての貴族に類似した、社会的先導者としての義務という建前を持つが、実体としては富と権力を世襲に近い形で受け継いでいる点でも、貴族に類似している([[共産貴族]])。