「アレクサンドラ・ヴィクトリア・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク」の版間の差分

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[[グリュックスブルク家|グリュックスブルク公爵家]]の家長[[フリードリヒ・フェルディナント (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)|フリードリヒ・フェルディナント]]と、[[アウグステンブルク家|アウグステンブルク公爵家]]家長で名目上のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公である[[フリードリヒ8世・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン|フリードリヒ8世]]の娘[[カロリーネ・マティルデ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク|カロリーネ・マティルデ]]の間の次女として、[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン]]のグリュンホルツで生まれた。
 
1908年10月22日に[[ベルリン]]において、ドイツ皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]の四男[[アウグスト・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン (1887-1949)|アウグスト・ヴィルヘルム]]王子と結婚した。アレクサンドラとアウグスト・ヴィルヘルムは互いの母親が姉妹の従兄妹同士で、アレクサンドラは伯母であり姑でもある[[アウグステ・ヴィクトリア]]皇后の大のお気に入りであった。夫妻の間には一人息子の[[アレクサンダー・フェルディナント・フォン・プロイセン|アレクサンダー・フェルディナント]](1912年 - 1985年)が生まれた。
 
夫婦仲は良好と思われたが、アレクサンドラは[[ドイツ革命]]後の1920年にアウグスト・ヴィルヘルムと離婚した。その後、1922年月1月7日にアルノルト・リューマンと再婚したが、リューマンとも1933年に離婚している。