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[[東京都]]出身。[[慶応義塾高校]]時代は、切れの良いストレートと落差の大きいカーブを武器に神奈川県を代表する投手として活躍。高校3年時の夏、[[第68回全国高等学校野球選手権大会|神奈川県大会]]では、24年ぶりの[[甲子園]]出場が期待されるも、大会途中に部員の不祥事で無念の出場辞退。[[甲子園]]出場は幻となった。
 
高校卒業後は[[慶應義塾大学]]に進学、大学1年時、[[東京六大学野球連盟|六大学野球リーグ戦]]では、[[1987年]]春季リーグ戦で[[鈴木哲]]、[[志村亮]]らと共に活躍し、リーグ優勝、全日本選手権優勝に貢献。大学4年間は、肘の故障に苦しむも、4年時の[[19911990年]]春には、伝説慶早戦史上に残る12年ぶり早慶V決戦で活躍。<ref>[[前田祐吉]], 『野球と私』, [[青蛙房]]</ref>。
 
卒業後は、社会人野球[[プリンスホテル]] に進み、[[オリンピック]]を目指す予定であったが、大学卒業と共に現役を引退した。