「カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ」の版間の差分
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それから数ヵ月後に、[[プロイセン王国]]の[[皇太子]]フリードリヒ(後の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]])の[[ノイルッピン|ルッピン]]の宮廷に[[チェンバロ]]奏者として奉職し、[[1740年]]にフリードリヒ2世が国王に即位すると、[[ベルリン]]の宮廷楽団員に昇進した。この頃になると[[ヨーロッパ]]でも最先端の[[フォルテピアノ|クラヴィーア]]奏者のひとりとなっており、[[1731年]]にさかのぼる作曲活動も、お気に入りの鍵盤楽器のための、30曲の[[ソナタ]]や数々の小品が含まれるようになっていた。
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作曲家としての名声は、それぞれフリードリヒ大王と[[ヴュルテンベルク]]大公に献呈された、別々の2つのソナタ集によって打ち立てられた。[[1746年]]には王室楽団員の地位に昇り、それから22年の間、[[カール・ハインリヒ・グラウン]]や[[ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ]]、[[ヨハン・ゴットリープ・ナウマン]]らと並んで、大王の寵愛を受け続けた。
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