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==予選==
{{main|:UEFA欧州選手権2004予選}}
 
== 本大会総括 ==
=== ポルトガルとギリシャ ===
[[Image:Greeks celebrating Euro 2004 victory dsc06432.jpg|thumb|150px|right|優勝を喜ぶギリシャ国民]]
ユーロ2004は開催国の敗北に始まり、開催国の敗北に終わった大会である。開幕戦となった開催国[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]対[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]は、ギリシャがこれまでの実績から格下と見られていたことと、ポルトガルを大勢の地元ファンが後押しすることからポルトガル有利と思われていたがギリシャは開始早々に[[ギオルゴス・カラグーニス]]が先制ゴールをあげポルトガルの出鼻をくじくと、後半開始早々に[[ゲオルギオス・セイタリディス]]が得たPKを[[アンゲロス・バシナス]]が決め、90分間を高い集中力で戦い抜き勝利をもぎとったのである。[[オットー・レーハーゲル]]監督率いるギリシャはその勢いで([[サッカーロシア代表|ロシア]]には敗れるが)決勝まで登り詰め、一方の[[ルイス・フェリペ・スコラーリ]]監督率いるポルトガルはギリシャ戦の敗北をバネに体制を立て直して決勝までこぎ着けた。迎えた決勝戦でもギリシャの規律と集中力はポルトガルを凌駕し、同国史上初のビッグタイトルを手に入れるのである。開幕戦に臨む開催国が敗戦したのも、決勝戦に臨んだ開催国の敗戦も初のことであった。
 
=== 強豪国の低迷 ===
優勝に近いと目されていたチームが思うような結果を残せなかったのもこの大会の特徴である。[[サッカーイタリア代表|イタリア]]はエースの[[フランチェスコ・トッティ|トッティ]]が相手選手につばを吐いたことによる3試合出場停止で大会から姿を消すと、その穴を埋めるべく[[アントニオ・カッサーノ|カッサーノ]]らが奮闘するが、結果はグループリーグ敗退。[[サッカースペイン代表|スペイン]]もギリシャの勢いや、攻撃陣の機能不全などによりグループリーグ敗退。[[サッカーイングランド代表|イングランド]]はグループリーグでは[[ウェイン・ルーニー|ルーニー]]の大活躍で突破するものの[[デビッド・ベッカム|ベッカム]]の大会合計3度連続(予選におけるトルコ戦、初戦のフランス戦、そして1番手として臨んだポルトガル戦)の[[ペナルティーキック|PK]]失敗、ルーニーが試合中に故障退場、[[ソル・キャンベル]]のゴールが取り消されたこと等が原因でポルトガルにPK戦で敗れ(最後のキッカーは[[ダリウス・ヴァッセル]])ベスト8敗退。[[サッカードイツ代表|ドイツ]]に至っては、格下のラトビアと引き分け、第三戦では既に1位通過を確定し完全な二軍で臨んできたチェコ相手に敗れるなど、2003年のコンフェデレーションズカップを辞退し、ブンデスリーガの外国籍枠を縮小して欲しいとルディ・フェラー監督が懇願するなど、当初から不安の多いチームだったが、良いところを何一つ見せる事ができずグループリーグ敗退。前回王者[[サッカーフランス代表|フランス]]は結果こそベスト8でまずまずと言えるかもしれないが、その内容は王者フランスにふさわしいものではなく特に準々決勝のギリシャ戦ではギリシャの規律と集中力はあるゆる場面でフランスを凌駕していた。これは王国の凋落を観衆に植え付けることとなった。
 
=== デンマーク対スウェーデン談合疑惑 ===
グループCは最終戦を前に[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]・[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]・イタリアの3ヶ国に決勝トーナメント進出の可能性があったが、デンマーク対スウェーデンが2-2以上の引き分けに終われば、同時刻で開催されるイタリア対ブルガリアの結果に関わらず両国がそろって決勝トーナメントに進めることになっていた。この大会から勝ち点が並んだ場合に当該チームでの勝ち点、得失点差、総得点の順(いわゆる直接対決の成績)で上位になる国を決める方式に変更された。そのため仮にデンマーク対スウェーデンが引き分け、イタリア対ブルガリアでイタリアが勝ったとすると、勝ち点、当該3チームでの勝ち点、当該3チームでの得失点差が並ぶが、デンマーク対スウェーデンが2-2以上の引き分けになれば、当該3チームでの総得点を両国ともイタリアを上回るためである。イタリア側もデンマークとスウェーデンに[[談合試合]]をしないよう事前に警告していたが、試合はデンマークとスウェーデンが点を取り合い、結果的に2-2の引き分けとなり両国の決勝トーナメント進出が決定、イタリアは敗退となった。そのため主にイタリアにおいてこの試合での談合疑惑が浮上したが、証拠がなく却下された(但し、仮に以前と同じ全チーム間での勝ち点、得失点差、総得点による順位決定だったとしてもイタリアは敗退している)。また、実際の試合は2-2になった後も終了間際まで両国共に手抜きのない点の取り合いであった。
 
=== オランダの復調とチェコの実力 ===
強豪国が次々姿を消す中、大会を盛り上げたのは[[サッカーオランダ代表|オランダ]]と[[サッカーチェコ代表|チェコ]]である。この大会の[[ディック・アドフォカート]]率いるオランダは3年前にW杯日韓大会の欧州予選で敗退し、ユーロ2004予選でも大いに苦戦していた(スコットランドとのプレーオフでは先勝を許した)ことから、かつて強豪国の一角に数えられていた国とは思えないほど期待が低かった。しかし、大会を通してオランダは若手とベテランがうまく融合し、内容的には必ずしも良かったとばかりは言い切れない部分(特に有名なのがチェコとの直接対決で見せた消極的采配)もあったものの、GL最終戦でドイツが2軍のチェコ相手に敗れるなど幸運の助けもあって、ベスト4進出と期待以上の成果を残した。もう一方の[[カレル・ブリュックナー]]監督率いるチェコも同様W杯日韓大会予選のプレーオフで敗退したが、今大会は充実したタレントが下馬評通りの活躍を見せ、全ての試合でその実力をいかんなく発揮、大会最強とも思える印象を残したが、準決勝ギリシャ戦ではチームの主役である[[パベル・ネドベド|ネドベド]]を怪我で失うとともに勝利も逃し大会から姿を消した。
 
なお、2006年のW杯ドイツ大会の欧州予選でもオランダとチェコは同じグループに入った。両国とも[[FIFAランキング]]5位以内に入るだけあり、オランダがチェコなどを完封し、グループ1位通過。しかも欧州の13の出場国の中で最高成績(実質欧州1位)で本大会の出場権を獲得し、チェコもオランダには完敗したが、グループ2位でノルウェーとのプレーオフを制し出場権を獲得した。
 
=== 新興勢力ラトビア ===
プレーオフで[[サッカートルコ代表|トルコ]]を下してユーロ初挑戦となった[[サッカーラトビア代表|ラトビア]]は、グループリーグ敗退という結果に終わったが、その勇敢な戦いは人々の心に強く残った。強豪ひしめくグループDにありながら、ドイツを苦しめ(スコアレスドロー)、チェコ相手には先制点を奪い終盤まで1点をリードしていた(終了間際に2失点し1-2で逆転負け)。その戦術は統率のとれた執拗な守備から[[マーリス・ヴェルパコフスキス]]を中心とする[[ジャックナイフ]]のようなカウンターという、実力上位の相手に対して勝利を奪いに行くための古典的かつもっとも有効なものだった。その戦術を選手個々が忠実に実行できることをこの大舞台で証明しただけでもラトビアは弱小国から一歩も二歩も抜け出したと言えるだろう。
 
==開催都市とスタジアム==
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*[[Image:Flag of Sweden.svg|20px]] [[ズラタン・イブラヒモビッチ]]
 
== 本大会総括 ==
=== ユーロ2004を最後に代表引退を表明した主な選手(後に復帰した選手を除く) ===
{{独自研究|date=2011年4月7日}}
*[[マニュエル・ルイ・コスタ]]
=== ポルトガルとギリシャ ===
*[[フェルナンド・コウト]]
[[Image:Greeks celebrating Euro 2004 victory dsc06432.jpg|thumb|150px|right|優勝を喜ぶギリシャ国民]]
*[[フランク・デ・ブール]]
ユーロ2004は開催国の敗北に始まり、開催国の敗北に終わった大会である。開幕戦となった開催国[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]対[[サッカーギリシャ代表|ギリシャ]]は、ギリシャがこれまでの実績から格下と見られていたことと、ポルトガルを大勢の地元ファンが後押しすることからポルトガル有利と思われていたがギリシャは開始早々に[[ギオルゴス・カラグーニス]]が先制ゴールをあげポルトガルの出鼻をくじくと、後半開始早々に[[ゲオルギオス・セイタリディス]]が得たPKを[[アンゲロス・バシナス]]が決め、90分間を高い集中力で戦い抜き勝利をもぎとったのである掴んだ。[[オットー・レーハーゲル]]監督率いるギリシャはその勢いで([[サッカーロシア代表|ロシア]]には敗れるが)決勝まで登り詰め、一方の[[ルイス・フェリペ・スコラーリ]]監督率いるポルトガルはギリシャ戦の敗をバネに体制を立て直して決勝までこぎ着けた進出。迎えた決勝戦でもギリシャの規律と集中力はポルトガルを凌駕圧倒し、同国史上初のビッグタイトルを手に入れるのである。開幕戦に臨む開催国が敗戦したのも、決勝戦に臨んだ開催国の敗戦も初のことであった。
*[[ヤープ・スタム]]
 
*[[フランチェスコ・トルド]]
=== 強豪国の低迷 ===
*[[マルセル・デサイー]]
優勝に近い候補目さ言わていたチームが思うような結果を残せなかったのもこの大会の特徴である。[[サッカーイタリア代表|イタリア]]はエースの[[フランチェスコ・トッティ|トッティ]]が相手選手につばを吐いたことによる3試合出場停止で大会から姿を消すと、その穴を埋めるべく[[アントニオ・カッサーノ|カッサーノ]]らが奮闘するが、結果はグループリーグ敗退。[[サッカースペイン代表|スペイン]]もギリシャの勢いや、攻撃陣機能不全などによりせずグループリーグ敗退。[[サッカーイングランド代表|イングランド]]はグループリーグでは[[ウェイン・ルーニー|ルーニー]]の活躍で突破するものの[[デビッド・ベッカム|ベッカム]]の大会合計3度連続(予選におけるトルコ戦、初戦のフランス戦、そして1番手として臨んだポルトガル戦)の[[ペナルティーキック|PK]]失敗、ルーニーが試合中に故障退場、[[ソル・キャンベル]]のゴールが取り消されたことなど原因でありポルトガルにPK戦で敗れ(最後のキッカーは[[ダリウス・ヴァッセル]])ベスト8敗退。[[サッカードイツ代表|ドイツ]]に至っては、格下のラトビアと引き分け、第三戦では既に1位通過を確定し完全な二軍で臨んできたチェコ相手に敗れるなど、2003年のコンフェデレーションズカップを辞退し、ブンデスリーガの外国籍枠を縮小して欲しいとルディ・フェラー監督が懇願するなど、当初から不安の多いチームだったが、良いところを何一つ見せる事ができずグループリーグ敗退。前回王者[[サッカーフランス代表|フランス]]は結果こそベスト8まずまずの成績と言えるかもしれないが、その内容は王者フランスにふさわしいものではなく特に準々決勝のギリシャ戦ではギリシャの規律と集中力はあるゆる場面でフランスを凌駕してた。これは王国の凋落を観衆に植え付けることとなった
*[[ビセンテ・リザラズ]]
 
*[[ポール・スコールズ]]
=== デンマーク対スウェーデン談合疑惑 ===
*[[ステファヌ・シャピュイサ]]
グループCは最終戦を前に[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]・[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]・イタリアの3ヶ国に決勝トーナメント進出の可能性があったが、デンマーク対スウェーデンが2-2以上の引き分けに終われば、同時刻で開催されるイタリア対ブルガリアの結果に関わらず両国がそろって決勝トーナメントに進めることになっていた。この大会から勝ち点が並んだ場合に当該チームでの勝ち点、得失点差、総得点の順(いわゆる直接対決の成績)で上位になる国を決める方式に変更された。そのため仮にデンマーク対スウェーデンが引き分け、イタリア対ブルガリアでイタリアが勝ったとすると、勝ち点、当該3チームでの勝ち点、当該3チームでの得失点差が並ぶが、デンマーク対スウェーデンが2-2以上の引き分けになれば、当該3チームでの総得点を両国ともイタリアを上回るためである。イタリア側もデンマークとスウェーデンに[[談合試合]]をしないよう事前に警告していたが、試合はデンマークとスウェーデンが点を取り合い、結果的に2-2の引き分けとなり両国の決勝トーナメント進出が決定、イタリアは敗退となった。そのため主にイタリアにおいてこの試合での談合疑惑が浮上したが、証拠がなく却下された(但し、仮に以前と同じ全チーム間での勝ち点、得失点差、総得点による順位決定だったとしてもイタリアは敗退している)。また、実際の試合は2-2になった後も終了間際まで両国共に手抜きのない点の取り合いであった
*[[ヨルク・シュティール]]
 
*[[エッベ・サンド]]
=== オランダの復調とチェコの実力 ===
*[[レーネ・ヘンリクセン]]
強豪国が次々姿を消す中、大会を盛り上げたのは[[サッカーオランダ代表|オランダ]]と[[サッカーチェコ代表|チェコ]]である。この大会の[[ディック・アドフォカート]]率いるオランダは3年前にW杯日韓大会の欧州予選で敗退し、ユーロ2004予選でも大いに苦戦していた(スコットランドとのプレーオフでは先勝を許した)ことから、かつて強豪国の一角に数えられていた国とは思えないほど期待が低かった。しかし、大会を通してオランダは若手とベテランがうまく融合し、内容的には必ずしも良かったとばかりは言い切れない部分(特に有名なのがチェコとの直接対決で見せた消極的采配)もあったものの、GL最終戦でドイツが2軍のチェコ相手に敗れるなどの助けもあって、ベスト4進出と期待以上の成果を残した。もう一方の[[カレル・ブリュックナー]]監督率いるチェコも同様W杯日韓大会予選のプレーオフで敗退したが、今大会は充実したタレントが下馬評通りの活躍を見せ、全ての試合でその実力をいかんなく発揮、大会最強とも思える印象を残したが、準決勝ギリシャ戦ではチームの主役である[[パベル・ネドベド|ネドベド]]を怪我で失うとともに勝利も逃し大会から姿を消した。
*[[クリスティアン・ツィーゲ]]
 
なお、2006年のW杯ドイツ大会の欧州予選でもオランダとチェコは同じグループに入った。両国とも[[FIFAランキング]]5位以内に入るだけあり、オランダがチェコなどを完封し、グループ1位通過。しかも欧州の13の出場国の中で最高成績(実質欧州1位)で本大会の出場権を獲得し、チェコもオランダには完敗したが、グループ2位でノルウェーとのプレーオフを制し出場権を獲得した。
 
=== 新興勢力ラトビア ===
プレーオフで[[サッカートルコ代表|トルコ]]を下してユーロ初挑戦となった[[サッカーラトビア代表|ラトビア]]は、グループリーグ敗退という結果に終わったが、その勇敢な戦いは人々の心に強く残った。強豪ひしめくグループDにありながら、ドイツを苦しめ(スコアレスドロー、チェコ相手には先制点を奪いあげ終盤まで1点をリードしていた(終了間際に2失点し1-2で逆転負け)。その戦術は統率のとれた執拗な守備から[[マーリス・ヴェルパコフスキス]]を中心とする[[ジャックナイフ]]のようなカウンターという、実力上位の相手に対して勝利を奪いに行くための古典的かつもっとも有効なものだった。その戦術を選手個々が忠実に実行できることをこの大舞台で証明しただけでもラトビアは弱小国から一歩も二歩も抜け出したと言えるだろう
 
==関連項目==