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== 遍歴 ==
[[1930年]]、府中中学(現[[広島県立府中高等学校|広島県立府中高校]])中退。上京して新派の近江二郎の内弟子を経て、浅草で興行していた[[女剣劇]]の[[不二洋子]]の一座に入る。[[榎本健一]]の舞台を見て、喜劇俳優に憧れる。[[1942年]]召集され[[1945年]][[満州]]・[[新京]]で終戦。[[シベリア抑留]]を経て[[1948年]]帰国。木下楽劇座の座長となり地方を巡業。
 
[[1959年]]6月、[[吉本興業]]に加わり[[1961年]]座長となった。若い頃から老け役専門、脇役専門で[[1968年]]、吉本新喜劇は平と[[花紀京]]、[[秋山たか志]](漫才師の[[秋山右楽・左楽]]の右楽の息子)を座長とする三つの組に分かれたが、花紀、秋山が主役を張るのに対して平はあくまで脇にこだわり、新しい才能に主役をやらせて、自らは脇を固めるというパターンを多用し、爺さんキャラの看板座長として不動の地位を築いた。そこから前記、秋山の他、岡八郎、木村進、[[間寛平]]、[[阿吾寿朗]]らを世に出した。