「1948年アメリカ合衆国大統領選挙」の版間の差分

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* '''[[レブレット・ソルトンストール]]'''マサチューセッツ州選出アメリカ合衆国上院議員
 
二大政党は[[第二次世界大戦]]で最も人気を博した将軍である[[ドワイト・D・アイゼンハワー]]将軍に食指を動かした。1948年ではアイゼンハワーの政治的見解は不明だった。彼は後の出来事でかったように中道の共和党員だったが、1948年はいかなる政党の指名もきっぱりと断った。
アイゼンハワーが断ると、共和党の候補指名争いはニューヨーク州知事[[トマス・E・デューイ]]、元ミネソタ州知事ハロルド・スタッセン、ダグラス・マッカーサー将軍、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員ロバート・タフトおよびカリフォルニア州知事アール・ウォレンが有力となった。デューイ知事は[[1944年アメリカ合衆国大統領選挙|1944年]]の共和党候補であり、[[予備選挙]]が始まった時に一番手と目された。デューイは[[1946年]]の選挙で共和党が東部で力強く躍進した時の指導者と認められており、ニューヨーク州知事としては州の歴史の中でも最大の票差で再選されていた。デューイの欠点は多くの共和党員に嫌われていたことだった。彼を観察する者には冷たく、堅物で見下したような印象を与えた。タフトは共和党保守派の指導者だった。彼は[[1947年]]に民主党の国内外交両政策を攻撃することで選挙運動を開始した。外交政策において、タフトは[[孤立主義]]であり、タフトが占領下の[[ドイツ]]に[[モーゲンソー・プラン]]を実行し、それによって[[ヨーロッパ]]経済を破綻させ、(タフトの見解では)[[マーシャル・プラン]]という形で合衆国の税金での救済を要求するようになると非難した<ref>[http://jcgi.pathfinder.com/time/magazine/article/0,9171,887493,00.html Time magazine]</ref>。国内問題では、タフトとその仲間の保守派が、[[1930年代]]に作られた[[ニューディール政策]]の社会福祉計画の多くを廃止しようとしており、これらの計画は実業界の利益にとって金を遣いすぎ有害だと見なした。タフトには2つの大きな弱みがあった。精彩の無い鈍感な候補者であり、党指導者の大半からはあまりに保守的すぎて論議が多く大統領選挙には勝てないと見られていた。タフトの支持基盤は出身地の[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]と[[アメリカ合衆国南部|南部]]の一部に限られていた。
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== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[アメリカ合衆国大統領選挙]]
 
== 参考文献 ==
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[[Category:アメリカ合衆国大統領選挙|1948]]
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[[de:Präsidentschaftswahl in den Vereinigten Staaten 1948]]