「津波てんでんこ」の版間の差分

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== 意味 ==
「てんでんこ」とは「てんでんばらばら」という意味であり、「津波が来たら、肉親に構わず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」ということがこの伝承の本来の意味である。津波は到達速度が速いため、肉親等に構っていると逃げ遅れて共倒れになってしまう。一族を存続させるためにも、自分一人だけでもとにかく早く高台へと逃げよ、ということであるが、「自分の命は、自分の[[責任]]で守れ」ということも含意しているとされる。また、自分自身は逃げて助かったのに、他人を助けられなかったとしても、それを非難しないという[[不文律]]にもなっている。
 
== 成立の経緯 ==
この伝承の成立時期、経緯については不明であるが、古来より何度も津波の来襲を受け、[[リアス式海岸]]のため被害の大きかった三陸地域において、津波から身を守り、一族を全滅から防ぐ知恵として言い伝えられてきたものと考えられる。[[1896年]]の[[明治三陸地震]]による津波の際に、親子、夫婦間で助けようとして共倒れになったケースが多かったことから得た教訓とも言われている<ref>[http://www.rsy-nagoya.com/wisdom/tiiki/tiiki26.html 減災に挑む30のストーリー 26 自分の身は自分で守る]</ref>
 
[[岩手県]][[大船渡市]][[三陸町]]出身の山下文男は、自身父親からこの伝承を聞いており、その父親も、祖父から聞かされていた。[[1933年]]の[[昭和三陸地震]]による津波では、父親は子に構わず自分一人で避難した。当時少年だった山下自身も自力で逃げて助かっている。山下は自身のこの体験から、津波災害史研究者としてこの伝承を広め、三陸地域の防災教育にも採り入れられるようになっていった。ちなみに山下は、[[2011年]]の[[東北地方太平洋沖地震]]による津波の際には、[[陸前高田市]]の県立高田病院の4階で入院中であったが、津波はこの高さにまで達し、首まで水に浸かりながら病室のカーテンにしがみついて助かっている<ref>{{Cite news|url=http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110317_9|title=津波研究者、九死に一生 大船渡の山下さん|newspaper=[[岩手日報]]|date=2011-03-17|accessdate=2011-04-10}}</ref>
 
== 実例 ==
[[2011年]][[3月11日]]に発生した[[東北地方太平洋沖地震]]による津波において、[[釜石市]]立釜石東中学校では、この伝承を基に、地震後、生徒たちが教師からの指示も待たずに各自高台へと避難した。その結果、校舎が津波に飲み込まれたにも関わらず、登校者全員の無事が確認された<ref>{{Cite news|url=http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/281397.html|title=防災の教え、命救った 釜石「津波てんでんこ」生かす 小中学生、高台へ一目散|newspaper=[[北海道新聞]]|date=2011-03-27|accessdate=2011-04-10}}</ref>。
 
== 課題 ==