削除された内容 追加された内容
でここ (会話 | 投稿記録)
2行目:
 
== 概要 ==
'''一の曲輪'''・'''本曲輪'''とも称される。中世城郭では、'''本城'''、'''実城'''<small>(みじょう)</small>、'''詰丸'''などと呼ばれ、城によって呼び名が異なる。日本の中世以前の城跡の調査報告書で考古学において'''主郭'''と呼称されることが多い。また、[[転義法|比喩]]的に、物事の本質、組織の中核を指すために用いることがある。
 
本丸御殿といった豪華な建区域は大型構造の遺構や、近世には[[石垣]]や装飾瓦など建てられ伴出し本丸御殿など城主の日常生活や政務を行う場として使わの建築物が配置さる場合ていた考えられている。そうした機能は二の丸・三の丸を周辺、本丸は面積を狭くして戦時における詰の丸としての機能をもつ場合とがある。近世には、[[天守]]も建てられるようになった。本丸の内または本丸と別に、天守の建てられた小規模な曲輪を天守曲輪または天守丸ということもある。
 
城の本丸が[[家相]]に従って造られることもあった。すなわち、本丸の中心、または御殿の中心を中央として、南東に[[大手門|大手虎口]]を、北東には角を作らずに[[鬼門]]除けとなる隅欠きをするとよいといわれていた。天守(またはその代用である[[御三階櫓]]など)は、北西に造るとよいと信じられていた{{要出典|date=2009年5月}}。