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'''上杉 清子'''(うえすぎ きよこ、[[文永]]7年([[1270年]])? - [[興国]]3年/[[康永]]元年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]([[1343年]][[1月20日]]))は、[[鎌倉時代]]後期から[[室町時代]]初期の女性。[[本姓]]は[[藤原氏]]。[[勧修寺流]]の一流である[[上杉氏]]の出身で、父は[[上杉頼重]]。[[足利貞氏]]の側室。[[足利尊氏]]、[[足利直義|直義]]兄弟の母。[[上杉重顕]]([[扇谷上杉家]]祖)、[[上杉憲房 (南北朝時代)|上杉憲房]]、[[日静]]の姉妹。[[上杉憲顕]]([[山内上杉家]]祖)、[[上杉憲藤|憲藤]]([[犬懸上杉家]]祖)兄弟と[[上杉重能]]([[宅間上杉家]]祖)は甥で、[[山名時氏]]は従兄弟に当たる
 
生年は『三宝院賢俊僧正日記』の興国3年/[[暦応]]5年([[1342年]])2月条に「大方殿 七十三 卯酉」とあり、これにしたがえば逆算して文永7年となる。[[嘉元]]3年([[1305年]])に尊氏を生む。この際、[[紀伊国|紀伊]][[粉河寺]]の観音に祈ったことから、後年、[[延元]]元年/[[建武 (日本)|建武]]3年([[1336年]])に粉河寺に[[戸帳]]を寄付し、さらに翌年には領地を寄進している。
 
夫貞氏の没後も足利家を支え、尊氏、直義兄弟が倒幕に動いた際には終始行動をともにした。[[室町幕府]]成立後は、実家である上杉家の興隆に力を用いた。