「鎌倉三代記」の版間の差分

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[[庄野宿]]に置かれた時政の陣所では、近隣に住む百姓の藤三郎が時政の前に引き据えられていた。この男は頼家方の武将佐々木高綱に面体がそっくりで、これこそ高綱が時政を欺く変装であろうと、陪臣の富田三郎に捕らえられ連れて来られたのである。しかし藤三郎は自分はそんな者では無いと抗うので、時政は兼ねて捕らえておいた高綱の妻、篝火を引出し藤三郎に対面させる。すると篝火は籐三郎を見て高綱さまと呼びかけ、「佐々木とも高綱とも云わるる武者が、やみやみと雑兵の手にかかり給いしか」と嘆き泣き、もうこの上はともに時政の手にかかって死のうという。だがその様子を見ていた時政は、「いかに運つきればとて富田ごときの手にかかるべき高綱ではよもあるまじ」と、藤三郎を夫と言い立てて身替りとする計略であろうと見破る。
 
疑いの晴れた籐三郎であったが、このままではまた高綱と間違えるだろうと、時政はこの場で藤三郎の額に、目印として[[刺青]]を入れるという。藤三郎はもとより、夫のあとを追ってこの場に来た藤三郎の妻おくるも刺青ばかりはご勘弁をとともども頼む訴えるも、結局藤三郎は泣く泣く刺青を額に入れられる。
 
一方時政には心掛かりなことがあった。時政の娘時姫は父を裏切り、敵である三浦之助義村を慕ってひとり家を出て、絹川村にいる年老いた三浦之助の母長門を看病していたのである。だがそれを聞いた藤三郎は、自分が時姫を時政のもとに連れてくると言い出し、しかもそれが成功した暁には、時姫と夫婦にさせてくれという。時政はこれを許し藤三郎に時姫奪還を命じ、雑兵用の具足と、自分の使いの者である証拠として懐剣を与える。時姫を女房にするというあまりのことに腹を立てるおくるを措いて、藤三郎は具足を着用し懐剣を持って絹川村へと向うのであった。
 
;絹川村閑居の場
絹川村の三浦之助の母長門の住いでは、主である長門が病で布団の上におり、近所の百姓の女房おらちと、藤三郎の女房おくるも来て話をしている。そこへ身分の高そうな御殿女中ふたりが侍たちを連れて現れる。ふたりは北条家の奥に仕える阿波局、讃岐局で、時姫を迎えに来たのだという。しかしその肝心の時姫の姿が見えない。どこへ行ったのかと尋ねると、長門は酒を買いに行かせたというので局たちは「テモマア興がる御有様」とあきれるところへ、時姫が道の向うから戻ってくるのが見えたので、る。局たちは侍たちに供をするよう命じるが、その侍たちに付き添われる時姫は、お盆に豆腐を載せ、酒を入れた[[徳利]]を手に提げながらやってくるのであった。
 
阿波局と讃岐局は時姫に、時政のもとに戻るよう説得するが時姫は聞き入れない。ならば自分たちもここに留まり、どこまでも姫に御仕えしようというと、おらちがそこにやってきて買ってきた酒を呑んだり、また時姫に飯の炊き方や味噌汁の作り方を教授しようと局たちも入れて米を研がせたり、味噌をすらせたりするがそこは御殿育ちの面々、上手く出来ずに大騒ぎ。やがておらちは酒がなくなったので自分で買いに行こうと出て行き、時姫は長門が咳をするので、介抱しようと奥へ入った。
 
阿波局と讃岐局はやはりどうにかして時姫を取り返したいと案じるが、そこへ雑兵姿の藤三郎が現れる。はじめ藤三郎が時政の使いであるというのを局たちは疑うが、藤三郎が時政から与えられた懐剣を見せると納得し、時姫のことは自分に任せろという藤三郎の言葉に従って局たちはひとまずこの家を立ち退き、藤三郎は近くの物陰に隠れる。
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== 解説 ==
この『鎌倉三代記』については、明和6年([[1769年]])に上演された近松半二ほか作の[[人形浄瑠璃]]、『[[近江源氏先陣館]]』(おうみげんじせんじんやかた)の続編ともいうべき点も多い所から、翌年の明和7年に上演された『太平頭鍪飾』(たいへいかぶとのかざり)がその前身であり、作者も『近江源氏先陣館』と同じ執筆陣であろうという説が有力である。この『太平頭鍪飾』は初演当時、脚色上問題ありとして二十日ほどで幕府より上演を差し止められてしまった。そこでのちに『鎌倉三代記』と外題を改め、内容にも手を入れて上演するようにしたのである。これ歌舞伎の舞台で初めて取り上げられたのは[[文化 (元号)|文化]]3年([[1806年]])7月の大坂[[中座|中の芝居]]で高綱は[[嵐吉三郎 (2代目)|二代目嵐吉三郎]]であった。現在はその七段目にあたる場面のみを上演する。なお[[紀海音]]にも同名の作品があり[[比企能員]]の謀反を扱った時代物の浄瑠璃だが、今日では浄瑠璃本が残されるのみで全く上演されていない。『鎌倉三代記』という外題はこの浄瑠璃から流用したものである。
 
作品の背景は[[大坂の陣]]を北条氏と御家人との争いに変え、[[徳川家康]]を北条時政、[[千姫]]を時姫、[[真田信繁|真田幸村]]を佐々木高綱、[[木村重成]]を三浦之助、[[後藤基次|後藤又兵衛]]を和田兵衛、[[淀殿|淀君]]を宇治の方、[[豊臣秀頼]]を源頼家にそれぞれ当てはめる。時政が時姫救出を命じる件は、[[大坂の役#大坂夏の陣|大坂夏の陣]]における[[坂崎直盛|坂崎出羽守]]の故事に因んでおり、また浄瑠璃の文句にも「名にしおう坂本の総大将と類いなき」で「大坂」をさりげなく織り込んでいるなど、随所にその当て込みがちりばめられている。
 
現行の歌舞伎の舞台では三浦之助の登場から芝居が始まるが、もとは上のあらすじで紹介したようにその前に、時姫が迎えの侍たちを連れた大時代な行列に豆腐を持って登場する「豆腐買」、村の女房が姫たちに飯の炊き方を伝授する「米とぎ」というユーモラスな場面が演じられていた。これらは通常カットされているが、文楽では演じられている。また「庄野宿陣所の場」は原作の浄瑠璃では六段目の後半部分に当たるが、これも現在では歌舞伎、文楽ともに上演が絶えている。しかし現在の、特に歌舞伎の三浦之助の登場からでは、初めてこの芝居を見る者にとってはとうてい話が飲み込めぬきらいがあり、参考のためにあえてれ以前のあらすじをあえて掲載したのである
 
前半部のクライマックスは、母に咎められ出陣しようとする三浦之助を時姫が止める件で、美しい男女が「思いは弱る後ろ髪」の浄瑠璃で弓を使ってポーズを決める個所は一番の見どころでもある。三浦之助と時姫が奥に引っ込んだ後、脇を固める奥女中の讃岐局、阿波局、藤三郎の女房おくる、富田三郎など活躍する場面が舞台を半廻しにして演じられる。ただし古くは半廻しではなく180度廻していた。時政の手がそこまで伸びているという緊張感をもたらすことで後半部の佐々木の登場に繋がっていき、腕の良い脇役が求められるところでもある。