「アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン」の版間の差分

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==生涯==
ドゥカンは[[パリ]]で生まれた。青年時代に北アフリカやトルコなどを旅し、東方の生活や情景を大胆な正確さで描いた作品で十九世紀フランスで広い人気を得ているが、その一方で当初、その作品は慣習的な批評家たちを困惑させた。しかしすぐに、ドゥカンの力は認められ、[[ウジェーヌ・ドラクロワ|ドラクロワ]]や[[オラース・ヴェルネ]]([[:en:Horace Vernet|Horace Vernet]])と並び称された。十九世紀初期の重要な[[オリエンタリスト]]の一人である。[[1855年]]の[[パリ万国博覧会 (1855年)|パリ万国博覧会]]では最高賞を受賞した。ドゥカンはその生涯のほとんどをパリ近郊で過ごした。動物、とくに犬が好きで、ありとあらゆる屋外スポーツを楽しんだ。[[1860年]]、[[フォンテーヌブロー]]で狩りをしていた最中に落馬して亡くなった。
 
==画風==