「イヴァン・ツァンカル」の版間の差分

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| death_place = [[ユーゴスラビア王国]]、[[リュブリャナ]] (現在[[スロベニア|スロヴェニア]]の[[首都]])
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'''イヴァン・ツァンカル(Ivan Cankar)''' ({{Audio|Ivan Cankar.ogg|発音}}) (1876年5月10日 ~ 1918年12月11日)は [[スロベニア|スロヴェニア]]の[[作家]]、[[劇作家]]、[[随筆家]]、[[詩人]]で政治活動家。近代スロヴェニア最大の作家とみなされており、[[フランツ・カフカ]]や[[ジェイムズ・ジョイス]]に比較されることもある
 
'''イヴァン・ツァンカル(Ivan Cankar)''' ({{Audio|Ivan Cankar.ogg|発音}}) (1876年5月10日 ~ 1918年12月11日)は [[スロベニア|スロヴェニア]]の[[作家]]、[[劇作家]]、[[随筆家]]、[[詩人]]で政治活動家。スロヴェニア最大の作家とみなされており、[[フランツ・カフカ]]や[[ジェイムズ・ジョイス]]に比較されることもある
<ref>Pirjevec Dušan: Ivan Cankar in evropska literatura, Ljubljana, Cankarjeva založba, 1964.</ref>
 
== 生涯 ==
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。大戦終結直後の1918年11月にもトリエステで講演を行い、スロヴェニアの政治や文化の活性化を訴えたが、翌12月に階段での転倒事故がもとでリュブリャナ中心部の施療院に収容され、その一室で肺炎のために生涯を終えた。42歳だった。
 
 
== 作品リスト ==
スロヴェニアおよびヨーロッパ文学史上でのツァンカルは、スロヴェニア語の散文を芸術の域にまで高めた最初の作家として位置づけられる。

ありふれた日常語彙と簡潔な文体によって、繊細な自然の美も複雑な心理の動きも余すところなく描き出すツァンカルの散文は、比類なく力強い効果を生み出している。その作品世界には多くの場合燃えるような怒りが漲っている。しかし人間悪を容赦なくえぐり出す暗鬱な視線の背後には、それでもなお常に人間への限りない愛情が湛えられており、虐げられ苦しむ人々への共感と慈愛、社会の不正を糾弾する熱烈な訴えが自ずから溢れ出している。
 
===  詩 ===
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* ''Krpanova kobila'' (1907年)
* ''Bela krizantema'' (1910年)
 
 
== 参考文献 ==
<references/>
 
 
{{DEFAULTSORT:つあんかる いうあん}}
[[Category:イヴァンツァンカル|*]]
[[Category:1876年生]]
[[Category:1918年没]]