「川路柳虹」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
加筆。
m編集の要約なし
18行目:
新進詩人として1918年『勝利』、1921年『曙の声』などの詩集を出した。曙光詩社を創立。評論やフランス詩壇の紹介の仕事も進めた。1922年、詩集『歩む人』以後は抒情性を脱し、知性派主知的詩人としての特色を強めた。
 
1927年外遊、[[パリ大学]]で東洋美術史を学び、[[美術評論家]]としても知られ『現代美術の鑑賞』(1925年)、『[[アンリ・マティス|マチス]]以後』(1930年)などの美術評論の著書もある。評論でも『詩学』など著書も多い。
 
[[象徴主義]]詩人の[[ポール・ヴェルレーヌ]]詩集も選訳した。少年期の[[三島由紀夫]]が、詩の面で師事した(回想記『私の遍歴時代』より。[[ちくま文庫]]で新版、他に[[中公文庫]]版「[[太陽と鉄]]」に収録)。
 
1958年、『波』などにより[[芸術院賞]]受賞。70歳で逝去。没後に遺稿詩集として『石』が上梓された。墓地は[[多磨霊園]]10区。