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Green Rain (会話 | 投稿記録)
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== 来歴・人物 ==
[[兵庫県]][[神戸市]]に生まれる<ref name="チェス次の一手 231頁">東公平 著 『チェス・マスター・ブックス 4 チェス次の一手』 [[河出書房新社]]、[[1976年]][[9月15日]]初版第1刷発行、[[1996年]][[4月25日]]改訂版初版第1刷発行、231頁。</ref>。[[木見金治郎]]九段に[[将棋]]を師事する。[[棋士 (将棋)|将棋棋士]]を志し[[灘中学校・高等学校|灘高等学校]]を中退し、上京して[[梶一郎]]九段門下で[[新進棋士奨励会|奨励会]]に入るが、初段で退会。その後、職員として[[日本将棋連盟]]に入り、さらにその後[[朝日新聞社]]に観戦記者として入社。「紅」のペンネームで多くの名勝負の観戦記を執筆<ref name="チェス次の一手 231頁"/>
 
その傍ら[[チェス]]プレーヤーとしても活動し、[[日本チェス連盟]]([[日本チェス協会]]とは無関係)が活動していた時代に日本チャンピオンとなる。その後日本チェス協会設立に当たり発起人となる。[[1969年]]にシンガポールオープンの日本代表<ref name="チェス次の一手 231頁"/>、[[1970年]]に[[西ドイツ]]の[[ジーゲン]]で開催された第19回チェスオリンピックの日本代表となる<ref name="チェス次の一手 231頁"/>。郵便チェスオリンピックにも参加し、ニューヨークのワールドオープンにも出場した。
 
[[2004年]][[4月]]に[[指導棋士]]四段の資格を取得し、江東区へ転居してから、日本将棋連盟深川棋遊会支部の支部長、現在は深川棋遊会の会長として普及活動にあたっている。
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[[2009年]]4月10日、第67期名人戦七番勝負第1局の2日目、観戦記者として記録係と並んで座っていたところ、対局中の名人[[羽生善治]]に白い扇子とペンを差し出しサインを求めた。羽生は44手目を考慮中であったが、依頼に応じ扇子にサインした。一連のやりとりはNHK BS2で生放送された。後に、主催の朝日新聞社から厳重注意を受けた。
 
自著『チェス・マスター・ブックス 4 チェス次の一手』の中で[[オープニング (チェス)|チェスのオープニング]]の1つ・[[ダミアノ・ディフェンス]]を「ダメナノ・ディフェンス」と呼んでいる<ref>『チェス・マスター・ブックス 4 チェス次の一手』、60頁。</ref>。
 
== 著書 ==
* ヒガシコウヘイのチェス入門 定跡編 河出書房新社、1975
* 名棋士名局集 弘文社、1975
* チェス・マスター・ブックス 4 チェス次の一手 河出書房新社、1976
* [[阪田三吉]]血戦譜1~3 大泉書店、1978~1979
* [[升田幸三]]熱戦集 上下 大泉書店、1979
* 朝日アマ将棋名人戦 第1回 木本書店、1980.1
* 朝日アマ将棋名人戦 第2回 木本書店、1980.3
* 朝日アマ・プロ角落戦 第1回 木本書店、1980.6
* 朝日アマ将棋名人戦 第3回 木本書店、1981.3
* 朝日アマ将棋名人戦 第4回 木本書店、1982.4
* 朝日アマ・プロ角落戦 第2回 木本書店、1982.10
* 朝日アマ・プロ角落戦 第3回 木本書店、1982.10
* 熱闘!100番勝負 将棋・珍プレ-好プレ- 朝日ソノラマ、1996.5
*[[ 升田幸三]]物語 日本将棋連盟、1996.10
* 近代将棋のあけぼの 河出書房新社、1998.2
* [[升田式石田流]]の時代 河出書房新社、2000.9
* 名人は幻を見た 河出書房新社、2000.10
 
== 翻訳書 ==
* ボビーフィッシャーのチェス入門 [[ボビー・フィッシャー]] 河出書房新社、1974
* ボビー・フィッシャーの究極のチェス ブルース・パンドルフィーニ 河出書房新社、1995.10
 
== 家族・親族 ==
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なお東公平自身は[[金子金五郎]]九段の娘と結婚し2女をもうけたが、後に離婚している。その後、池田京子と結婚。
 
== 脚注・出典 ==
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== 外部リンク ==
* [http://www.pat.hi-ho.ne.jp/~kouhei-higashi/ 東公平将棋雑話]
 
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