「転用石」の版間の差分

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== 概要 ==
転用石を使用する目的の第一は、築城に際し急遽多量の石が必要になるための石不足であったと考えられるが、ほかに[[敵]]の[[武将]]の[[墓石]]を使用することで己の[[権力]]を誇示するため、城を[[守護]]するためなどの理由が考えられている。墓石、[[石仏]]、[[宝篋印塔]]、[[燈籠]]、[[五輪塔]]、[[石臼]]などが多く使われ、[[寺院]]や旧[[領主]]の[[墓地]]から集められた。[[福知山城]]、[[大和郡山城]]では特に多く使用され、福知山城では見える場所だけでも450個から500個が確認されているほか、再建工事時に約300個が発掘され、その一部が城内に展示されている。
 
石垣をつくるために、墓石や民家の礎石さらに石仏までかき集めたというのは、領主にとって決して名誉な話ではない。敵から没収したものなら自慢にもなるが、ほとんどは領民から取り上げたものである。すなわち石材を揃えられなかった事実は、資金に窮していたことの証である。やむを得ずしたことであるなら、見えない部分である地面や水面の下になる箇所に使用すればよい。ところが、転用石の多くは、わざわざ正面中央部や角の部分など、人目につく部分に使用されている。城には物理的な強さだけでなく、多くの人の力を結集したという事実からなる呪術的な強さが必要だというのが、戦国時代の考え方であり、領民の間から集めた石を石垣にしたのは、その現れだったとも考えられている。墓石や石仏には、人々の先祖代々の思念や信仰の力が籠もっているため、石垣の素材としては最適という考えが成り立つ。転用石を良く見える場所に置くのは、領主・領民が一体となったことを誇示するものであり、石を提供した領民へのサービスであったという見方もなされている。
 
[[姫路城]]乾小天守北側の石垣には石臼が、[[大阪城]][[本丸]]石垣には近くの[[老婆]]が寄進されたとされる石臼が使用されているのを見ることができる。