「サッカーイタリア代表」の版間の差分

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EURO 2004終了後に代表監督に就任した名将[[マルチェロ・リッピ]]は、「[[カテナチオ]]からの脱却」を掲げ攻撃的なチーム作りに着手。[[2004年|同年]]の[[アテネオリンピック (2004年) におけるサッカー競技|アテネ五輪]]で銅メダルを獲得したU-23代表から[[ダニエレ・デ・ロッシ]]、[[アルベルト・ジラルディーノ]]らを招集。また[[ルカ・トーニ]]、[[ファビオ・グロッソ]]ら遅咲きの選手を主力として起用していった。
 
だが迎えた[[2006 FIFAワールドカップ|2006年W杯ドイツ大会]]開幕直前に[[カルチョ・スキャンダル]]が起こり、指揮官リッピやGK[[ジャンルイジ・ブッフォン|ブッフォン]]も巻き込まれてしまう。この影響が大会に臨む代表チームにも及んでしまうのではないかと懸念されたが、逆にチームは結束。グループリーグ初戦の[[サッカーガーナ代表|ガーナ]]戦に快勝し、2戦目の[[サッカーアメリカ合衆国代表|アメリカ]]戦は[[クリスティアン・ザッカルド]]のオウンゴールで引き分けに終わるも、最終戦チェコ戦では負傷した[[アレッサンドロ・ネスタ|ネスタ]]と途中交代で入った[[マルコ・マテラッツィ|マテラッツィ]]がゴールを挙げ勝利。1位でグループリーグを通過した。決勝トーナメント1回戦では、前回大会で敗れた韓国を率いていた[[フース・ヒディンク|ヒディンク]]が監督を務める[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]と対戦。試合は後半開始早々にマテラッツィが退場し、その後はオーストラリアに押される展開が続いたが、0-0で迎えた後半終了直前に[[ファビオ・グロッソ|グロッソ]]がPKを獲得。このPKを[[フランチェスコ・トッティ|トッティ]]が決め土壇場で勝利した。準々決勝の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ]]戦も3-0で快勝。準決勝では地元ドイツと対戦。一進一退の攻防が続き試合は90分間では決着が着かず延長戦に突入。延長戦でも互いに決定的なチャンスを決めることが出来ずPK戦に突入かと思われた延長後半14分にグロッソがゴールを決め、ついにイタリアが先制。さらに直後に[[アレッサンドロ・デル・ピエロ|デル・ピエロ]]がダメ押しの追加点を挙げ、2-0の劇的勝利で決勝に進出した。決勝でのフランス戦では、試合開始早々[[ジネディーヌ・ジダン|ジダン]]にPKを決められるも、すぐさまマテラッツィが同点ゴールを挙げ1-1で延長戦へ。そして延長後半5分、予期せぬ出来事が起こる。この試合を最後に現役引退するジダンがマテラッツィの挑発に乗り頭突きで報復し一発退場。このジダンの衝撃的な退場劇は大会終了後に多くの議論を生んだ([[ジダンの頭突き問題]])。試合は延長戦でも決着が着かず史上2度目となる決勝戦でのPK戦に突入。トレゼゲが失敗したフランスに対しイタリアは全員が成功し勝利。この結果イタリアは1982年以来24年ぶり4度目の優勝を成し遂げた。ちなみに、戦前からイタリア優勝を的確な根拠から予言していた評論家として、後藤健生が挙げられる
 
世界王者として臨んだ[[UEFA欧州選手権2008|EURO 2008]]では、大会開幕直前に守備の要[[ファビオ・カンナバーロ|カンナバーロ]]が負傷し大会を欠場。またエースとして期待された[[ルカ・トーニ|トーニ]]が無得点の大不振に陥り、この影響で初戦オランダ戦では0-3と大敗を喫し、続くルーマニア戦を引き分け。最終戦のフランス戦に勝利し、なんとかグループリーグを突破するも準々決勝で後に大会を制することになる[[サッカースペイン代表|スペイン]]にPK戦で敗れ、ベスト8で敗退した。大会終了後、マルチェロ・リッピが代表監督に再び就任。2010年ワールドカップ予選に臨むこととなった。