「大木伸夫 (演歌歌手)」の版間の差分

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[[1957年]]兄弟子、[[天光軒観月]]こと[[沢田プロダクション]]の[[沢田徳治]]を頼って上京。[[日本放送協会|NHK]]の新作勉強会に通い、[[1960年]][[作曲家]][[原伸二]]の所で、歌のレッスンにも通う。
 
[[1961年]]11月に、「[[大木伸夫]]」と[[改名]]し、[[浅草国際劇場]]の[[恒例浪曲大会]]に、「本能寺前夜」で初登場を迎えた。[[1962年]]3月に、アクションスター[[赤木圭一郎]]の一周忌に[[ポリドールレコード]]より発売された[[歌謡浪曲]]「トニーは今も生きている/流転」でレコードデビュー。[[1962年]][[7月]]に[[ポリドールレコード]]より「青年よ大志を抱け/若い日本だ」で[[歌手デビュー]]。さらに[[1962年]][[10月]]に「[[花と竜/男の花道]]」を発売。同年[[12月]]に「[[天野屋利兵衛は男でござる/南部坂雪の別れ]]」を発売。[[1962年]][[12月23日]]放映の[[東京映画]]「[[喜劇]] [[駅前飯店]]」に座長役で映画初出演をした。[[1963年]]8月に、司富子とのデュエットで「[[東京五輪音頭]]」を発売。同年10月に[[日新プロダクション]]に入社し、同年[[10月26日]]に[[大木伸夫]][[後援会]]を発足。その発足会を[[世田谷区民会館]]で開催する。([[後援]][[会長]]に[[法務大臣]][[賀屋興宣]]氏、応援出演に[[森繁久彌]]、[[小唄勝太郎]]、[[赤坂小梅]]、[[池真理子]]、[[北島三郎]]、[[坂本九]]、[[畠山みどり]])
 
[[1964年]][[4月]]、いまだに多くの[[演歌]][[歌手]]が歌い継いでいる(現在は[[天童よしみ]]、[[氷川きよし]]他)「[[涙の酒]]」(「涙の酒/遠山の金さん」)を発売。その発売記念に、[[サンケイホール]]にて[[大木伸夫]][[リサイタル]]を、[[5月2日]]に開催。特別出演に[[美空ひばり]]、[[高田浩吉]]。[[友情出演]]に、[[村田英雄]]。他、[[出演]]に[[西田佐知子]]、[[畠山みどり]]、[[水谷良重]]、[[梓みちよ]]、[[青山ミチ]]という豪華な舞台は、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]を通じて全国的に中継された。この[[リサイタル]]を祝い、親友 [[村田英雄]]が[[作詞]]、[[作曲]]した「[[裸の男]]」をプレゼントした。同年[[12月17日]]に、[[大木伸夫]][[グランドショー]]を[[サンケイホール]]で開催。三部作に分け、第一部は、[[大木伸夫]]往く年来る年。第二部は、演歌バラエティ明治九十八年と題し、[[林家三平 (初代)|林家三平]]、[[坊屋三郎]]、[[徳川夢声]]、[[玉川良一]]、[[浅香光代]]、[[清川虹子]]他多数が出演し、第三部には[[竜馬がゆく]]主題歌発表と題し、特別出演に、[[春日八郎]]、[[島倉千代子]]、[[坂本九]]、[[新川二郎]]、[[畠山みどり]]らが華をそえた。