「大臣 (古代日本)」の版間の差分

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'''大臣'''('''おおおみ''')とは、[[古墳時代]]における[[ヤマト王権]]に置かれた役職の1つ。王権に従う[[大夫]]を率いて[[大王 (ヤマト王権)|大王]]([[天皇]])の補佐として執政を行った。[[カバネ|姓]](かばね)の一つである'''[[臣]]'''(おみ)の有力者が就任した。
 
==解説 概要 ==
[[先代旧事本紀]]によれば、最初の大臣は[[懿徳天皇]]の申食国政大夫であった[[出雲醜]]とされ、その後も一族が大臣の地位を継いだとされている。(ただし先代旧事本紀に関しては、史実として扱わない意見も多く、人物に関しても実在が疑問視されている。)
 
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大臣は、各大王の治世ごとに親任され、[[反正天皇]]から[[安康天皇]]までの治世に当たる5世紀中期には[[葛城円]]が、[[雄略天皇]]から[[仁賢天皇]]までの治世に当たる5世紀後期には[[平群真鳥]]が、[[継体天皇]]の治世に当たる6世紀前期には[[巨勢男人]]が、[[敏達天皇]]から[[推古天皇]]までの治世に当たる6世紀後期から7世紀初期には[[蘇我馬子]]が、それぞれ大臣に任命された。蘇我馬子が[[大連_(古代日本)|大連]]である[[物部守屋]]を討った後は大連制が事実上廃されたために馬子が単独の執政官となり、以降は蘇我氏が政権の中枢を担うようになり、大臣は[[蘇我蝦夷]](馬子の子)が跡を継いだ。[[皇極天皇]]の治世に当たる[[645年]]、いわゆる[[乙巳の変]]により、蘇我蝦夷は自死し蘇我氏の隆盛は終わった。この事変の直後に[[即位]]した[[孝徳天皇]]は、大臣に代って[[左大臣]]と[[右大臣]]を置き、権力集中の防止を図った。
 
== 大臣の一覧 ==
主に[[先代旧事本紀]]、[[新撰姓氏録]]、諸氏系図や神社の伝承などにあらわれる大臣
* [[出雲醜]]・・・・・[[懿徳天皇]]2年3月に大臣(もとは申食国政大夫([[安寧天皇]]4年4月))<ref name="天皇本紀">[[先代旧事本紀]]の天皇本紀の任官記事</ref>