「ムアンチエンマイ郡」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[Image:Wat Chiang Man.jpg|left|thumb|250px|13世紀頃までさかのぼることのできる歴史あるワット・チエンマン]]
ランナータイ王国の首都はもともと[[ムアンチエンラーイ郡|チエンラーイ]]であったが、[[メンラーイ]]王によってグレゴリオ暦で1296年4月12日午前四時をもって公的にチエンマイに遷都された。この日時は宮廷の天文学者や占い師が選定した時間である。このとき[[スコータイ王朝|スコータイ]]から[[ラームカムヘーン]]王を呼び、[[パヤオ王国|パヤオ]]からは[[ガムムアン]]王を呼んで、都市計画を練り上げた、この為、都市の建設の様式にスコータイ的な要素が混ざり、それまで、ラーンナー世界で一般的だった川沿いに都市を建てる様式([[チエンセーン郡|チエンセーン]]、チエンラーイなど)とは違い、川から少し離れた場所に碁盤の目状に建てられている。なお、現在残る市街地の城壁がこのころのマンラーイの時代の遺跡なのか[[メーク (ラーンナー王)|メーク]]王の時代の遺跡なのかは分かっていない。
<!--市街地は碁盤の目状に整えられ、また河([[ピン川]])が街の東側に配置されるなど、その都市計画には中国の[[風水|風水思想]]の影響が強く見られる。その意味で日本の[[平城京]]、[[平安京]]と似た成立背景を持っていると言える。平安京の[[比叡山延暦寺]]にあたる寺院が、チエンマイを見下ろす山頂にある[[ワット・プラタート・ドーイ・ステープ|ドーイ・ステープ]]である。-->