「フリードリヒ・エーベルト」の版間の差分

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=== 死去と評価 ===
新生の共和国を取り巻く困難な情勢の中、[[ミュンヘン]]の新聞が、ドイツが大戦に敗れたのは1918年1月のストライキ委員長だったエーベルトらが「[[背後の一突き|背後からの一刺し]]」を加えたからだ、と書きたてて訴訟騒ぎになった。むしろストライキを早期に済ませるために委員長を引き受けた、とエーベルトは抗弁したが、[[マクデブルク]]地裁の判事がエーベルトはその時点では国家反逆罪だったと述べ、エーベルトに追い打ちをかけた。心労を重ねたエーベルトは医者の勧めを受け入れず盲腸炎を悪化させ、[[1925年]]2月28日に腹膜炎のため54歳で死去した。故郷ハイデルベルクに埋葬された。
 
ドイツ史上最初の民選大統領ということで、現在のドイツではあらゆる町で大通りに彼の名前が冠されている。一方でエーベルトは今日まで非常に論争の的になっている人物である。左派労働者の暴動を右派義勇軍を使って抑制したため、治安維持という点では一応の評価をされている一方、左派からは批判の対象とされている。