「テオバルド2世 (ナバラ王)」の版間の差分

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'''テオバルド2世'''([[スペイン語]]:'''<span lang="es">Teobaldo II</span>''', [[1238年]]頃 - [[1270年]][[12月4日]])は、[[ナバラ王国|ナバラ]][[ナバラ君主一覧|]]および[[シャンパーニュ伯]](在位:[[1253年]] - [[1270年]])。シャンパーニュ伯としては'''ティボー5世'''([[フランス語]]:'''<span lang="fr">Thibaud V</span>''')。「若年王」(''<span lang="es">el Joven</span>'')と呼ばれる。ナバラ王[[テオバルド1世 (ナバラ王)|テオバルド1世]](詩人王あるいは遺腹王。シャンパーニュ伯ティボー4世)とその3番目の妃マルガリータ・デ・ボルボーン(マルグリット・ド・ブルボン)の長男。
 
1253年、父王の死去によって王位と伯位を嗣いだ。しかしまだ若かったため、母親が1256年まで[[摂政]]を務めた。テオバルド2世は1255年、[[フランス王国君主一覧|フランス]][[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の王女[[イザベル・ド・フランス (ナバラ王妃)|イザベル]]と結婚した。義父とも親しくなり、相談を持ちかけたりしていたという。
 
1270年、テオバルド2世はルイ9世が主導する[[第8回十字軍]]に参加したが、ルイ9世は遠征先の[[チュニジア]]で同年8月に病死し、帰途に就いたテオバルドも同年12月に[[シチリア]]で病死した。嗣子はおらず、弟の[[エンリケ1世 (ナバラ王)|エンリケ]](アンリ)が王位と伯位を継承した。