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== 歴史 ==
[[1878年]](明治11年)、[[オーストリア]]国駐在書記官をしていた[[渡辺洪基]]が[[ウィーン地理学協会]]会員となり、国の発展において地学が多くの可能性をもっていることを知って、日本にも地学を専門とする機関が必要であると痛感した。帰国後、[[榎本武揚]](もと駐[[ロシア帝国|露]]公使)、[[花房義質]]([[朝鮮代理公使]])、[[鍋島直大]](もと[[イギリス王立地理学協会]]会員)、[[長岡護美]]([[アメリカ]]・[[イギリス]]に6年間留学)と感を同じくし、協会の創設に向け、同志を集める。
 
1879年4月、[[北白川宮能久親王]]を社長、榎本武揚、鍋島直大を副社長、渡辺洪基、[[桂太郎]]、北沢正誠、長岡護美を幹事に東京地学協会を創立した。同年、会誌『東京地学協会報告』を刊行。[[1893年]]、[[東京大学]]地質学科内の地学会と合併し合併以降は、同会の「地学雑誌」を東京地学協会の会誌として発行している。創設初期の会員は[[政治家]]、[[外交官]]、[[軍人]]、[[華族]]で構成され、会長は、創立初期には能久親王、[[載仁親王]]、榎本武揚、[[徳川頼倫]]、[[細川護立]]などが務めていた(創立時、社員は入社金10円、会費12円を要するなど、普通の学術団体とは比べ物にならない裕福な団体であった)。しかし日本に地学の専門家、愛好家が増えるにつれ、地学者が運営に当たるようになり、1970年以降は研究者も会長に就任している。