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'''ニナ・リッチ''' ('''Nina Ricci''')は、[[フランス]]の[[ファッション]][[ブランド]]。1932年に[[イタリア人]]デザイナー、[[マリア・ニナ・リッチ]](Maria Nina Ricci)とその息子のロベルトがフランス・[[パリ]]で創業した。

==歴史==
1932年に[[トリノ]]出身の[[イタリア人]]マリア・ニナ・リッチ(Maria Nina Ricci、1883年-1970年)との息子のロベルトが、[[パリ]]で設立創業した高級衣料品ブランド。ニナ・リッチは、ロベルトが経営を、母のマリアがデザインを担当していた。マリアは製品を仕上げる際、洋服生地を直接マネキンにあて、体に合うか一度は確認していた。ニナ・リッチは洗練されていてロマンティックなデザイン、そしてマリアがすべてのコレクション与えるフェミニンな印象のデザインですぐに有名になった。
 
戦争が終結した1945年、戦争の賠償金のために国が資金調達をしている頃に、デザイナー達は女性達が過去に[[オートクチュール]]に夢中になっていた頃を取り戻すことを要求された。ロベルト・リッチは、シャンブル(Chambre)代表のルシアン・ルロン(Lucien Lelong)とともに練っていたアイデアを実行に移した。[[バレンシアガ]]やマダムグレ(Madame Gres)を含む、40の同業者から借りた150体以上の、ブランド一押しのファッションを着せたマネキンを用意し、パリの[[ルーブル美術館]]で展覧会を催した。パリでの大成功の後、その展覧会はヨーロッパ中をまわり、ついにはアメリカでも開催された。
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==香水==
ニナ・リッチの香水の最も有名な香水は、1949年にフランスで作られた、『時の流れ』という意味の'''レール・デュ・タン'''である。マリアとロベルト子が陣頭にち、情熱と世代の融合された優雅さをつかんでいた。ロベルトはパヒューマー(香水調合師)であるフランソワ・ファブロンと仕事し、マダム・ニナ・リッチの服のような優雅な香りを創りだした。[[・ラリック]]は、優雅な2羽のハトをデザインした[[クリスタル・ガラス]]の香水ボトルを創った。その他の古典となっているニナ・リッチの香水には、''ファルーシュ''(Farouche)、''カプリッチ''(Capricci)、''フルール・ド・フルール''(Fleur de Fleurs)、''オー・ド・フルール''(Eau de Fleurs)がある。そのどれもが独特のラリック製クリスタル・ガラスの香水ボトルに入っている。男性用香水には、''シニョリッチ''(Signoricci)、''シニョリッチII''、''フィレアウス''(Phileaus)がある。近年の香水には、''ニナ''(Nina)と、3タイプの香りがある''レ・ベル・ド・リッチ''(Les Belles de Ricci)という、全く異なった香水がある。
 
== ソース参考 ==
*http://nymag.com/fashion/fashionshows/designers/bios/ninaricci/
*http://fashion-forum.org/fashion-designers/nina-ricci.html
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==外部リンク==
*[http://www.ninaricci.com/ Nina Ricci 公式サイト]
 
[[Category:フランスのファッションブランド]]