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[[1942年]]、[[アウンサン]]率いる[[ビルマ国民軍|ビルマ独立義勇軍(BIA)]]が建軍され、[[日本軍]]と共に[[イギリス]]支配下のビルマへと侵攻([[ビルマ戦役]])、同年4月にはイギリス軍を駆逐して[[刑務所]]に収監されていた[[バー・モウ]]が解放された。日本軍は新政府の指導者となるようバー・モウを説得し、彼を新しく設けた行政府の長官に就任させた。
 
[[1943年]][[8月1日]]早朝、ビルマ方面軍司令官[[河辺正三]]は、バー・モウらを前に軍政施行撤廃を宣言。このあと日本政府・軍の後押しによる独立準備委員会は建国議会の成立と独立を宣言、「ビルマ国」が誕生した。バー・モウは国家代表に推戴され、訪日時に授与された[[勲一等旭日大綬章]]を佩用して就任を宣誓。そのあと閣僚15名と枢密院議員17名を任命した。また即日、日本政府から承認を受けるとともに、ラジオ放送を通じて[[アメリカ合衆国|米]]英に対し宣戦布告をおこなった。
 
バー・モウはビルマ国内に向けては'''大統領'''(Naingandaw Adipadi)を名乗っていたが、[[共和制]]を忌避する日本に配慮し、対外的には'''首相'''を名乗った<ref>[http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300551_00000&seg_number=001 日本ニュース第166号|NHK戦争証言アーカイブス]。ここではバー・モウを「国家代表」「内閣総理大臣」と紹介している。</ref>。1943年11月には[[東京]]で開かれた[[大東亜会議]]にバー・モウが参加しているが、[[大東亜共同宣言]]には'''ビルマ国内閣総理大臣'''として署名している。