「ジャン・アヌイ」の版間の差分

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=== キャリア ===
1932年、最初の戯曲「エルミーヌ」(1929年執筆)は成功とはいえなかったが、彼はそれに続く作品を発表していく。戯作を続けながら何年も貧困に苦しんだのち、大俳優・演出家であった[[ルイ・ジュヴェ]]の秘書となる。しかしこの荒々しい雇い主と馬が合わないことに気づくと、劇団を後にする。
 
[[ナチス・ドイツのフランス侵攻]]の間、アヌイは公に政治立場を示すことはなかったものの、[[ソフォクレス]]による古典作品の翻案である『[[アンチゴーヌ]]』を出版する。戯曲は[[暗喩]]的な態度でナチスとの[コラボラシオン]を批判するものであった。基本姿勢としては政治から離れたところに立ちながらも、アヌイは1950年代には[[シャルル・ド・ゴール]]とも対立している。
 
1964年、アヌイの戯曲『ベケット』の映画化が成功した(出演:[[ピーター・オトゥール]]、[[リチャード・バートン]])。脚本家エドワルド・アナルトはアカデミー賞脚本部門を受賞している。
 
アヌイは自身の作品をその主たるトーンに基づいて分類していつ。「黒色」(悲劇や現実的な戯曲)、「ばら色」(ファンタジー)、「輝ける」(貴族階級における「黒色」「ばら色」の融合)、「軋む」(辛いユーモアを伴う「黒色」戯曲)、「仮装」(歴史的人物を主題とした戯曲)、「バロック」、それに「わが失敗」だ。
 
アヌイは自身の作品をその主たるトーンに基づいて分類してい。「黒色」(悲劇や現実的な戯曲)、「ばら色」(ファンタジー)、「輝ける」(貴族階級における「黒色」「ばら色」の融合)、「軋む」(辛いユーモアを伴う「黒色」戯曲)、「仮装」(歴史的人物を主題とした戯曲)、「バロック」、それに「わが失敗」だ。
 
== 作品 ==