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学者とは、[[大学]]の専任教員、[[研究機関]]や[[研究所]]の専属研究員、[[博物館]]の専属[[学芸員]]といった職業研究者を指す。理系の場合には、世界的に見て[[博士]]が必要条件であることが多い([[アングロサクソン]]文化では、[[修士]]卒で研究職にあっても、研究補助員としか見なしてくれない)。また、特定の[[大学]]や[[研究所]]に専任または常勤ポストを持たず、非常勤やパートのような形態で勤務する場合は、一般的に研究者とはみなさない。このため、他に職業を持ちながら自分で研究活動を行う'''研究家'''(けんきゅうか)も狭義には'''学者'''(がくしゃ)とは区別するべきである。
 
学者は、研究活動の成果を定期的に[[学会]]で発表を行うと言う印象が世間一般では通っているようである。例えば創作中のいわゆる[[マッドサイエンティスト]]は、「学会で発表したものが認められなかったから」といったなりゆきが語られることが多い。しかし、これは必ずしも正しくなく、なかなか発表を行わない学者も存在する。ちなみに、「学会で発表」というと、学者が集まった会でみんなの前で[[演説]]する印象があるが、具体的な発表の形としては、ブラインドレビューシステムにおける[[査読]]を経た学術[[論文]]の出版が唯一の正当なものであり、口頭発表やポスター発表などは後に論文の形で出版されない限りは正式のものとは認められない。また、マスコミを介した発表や個人のブログやホームページ等を用いた発表も正式なものではない。大学などで発行される[[紀要]]等も一般的には[[査読]]を課さないものが多く、分野によっては学術[[論文]]とはみなさないことがある。
 
学者の格というのは、例外もあるが、世界的に見て[[論文]](分野によっては特に英語で書かれた[[査読]]付きフルペーパー)の質と数で決まると言っても過言ではない。学者としての一つの称号である博士を取得するには、大学によるが、通常3本以上の査読付き論文を必要とし、その後のポスト探しにおいても論文数が重要な要素となる。この評価方式であるため、ある意味、研究能力(論文数)に応じて平等とも言えるが、その生き残りは非常に困難である。本制度は、論文の書きにくいテーマを選んだ人に不利で、さらには他の面(人格、社会貢献や教育貢献)が評価の対象に上がり難く、この弊害が長年指摘され続けていた。