「讃岐街道」の版間の差分

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== 愛媛と香川を結ぶ道 ==
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[[愛媛県]][[松山市]]から[[香川県]][[丸亀市]]付近へ伸びる道。現在の[[国道11号]]の西部分に相当する。旧街道は[[松山城]]の北西、札之辻が起点で、この付近には松山藩道路元標が建てられている。江戸時代に金毘羅参りが盛んになると、伊予国からも多くの参拝者がこの街道を利用して[[金刀比羅宮]]を目指したため、街道沿いに多くの[[道標]]が残っている。
 
== 徳島と香川を結ぶ道 ==
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[[徳島藩]]政時代に整備された阿波五街道の一つ。[[徳島城]]鷲の門から佐古、蔵本などを経て、徳命の渡し([[藍住町]])で[[吉野川]]を渡る。大寺([[板野町]])から[[大坂峠]]を越えて香川県側に入り、馬宿([[東かがわ市]]引田)に至る。大寺では撫養と池田を結ぶ[[撫養街道]](川北街道)と交差していた。藩政期は出入国を取り締まる[[関所]]が大坂峠にあった。現在の[[徳島県道・香川県道1号徳島引田線]]と一部重なる。
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[[徳島藩]]政時代に整備された阿波五街道の一つ。[[徳島城]]鷲の門から佐古、蔵本などを経て、徳命の渡し([[藍住町]])で[[吉野川]]を渡る。大寺([[板野町]])から[[大坂峠]]を越えて香川県側に入り、馬宿([[東かがわ市]]引田)に至る。大寺では撫養と池田を結ぶ[[撫養街道]](川北街道)と交差していた。藩政期は出入国を取り締まる[[関所]]が大坂峠にあった。のちに国道11号が海沿いのルートをとると、大坂峠経由の交通量は激減して廃れてしまった。現在の[[徳島県道・香川県道1号徳島引田線]]と一部重なる。
 
== 参考文献 ==