「ジョン・マーシャル (政治家)」の版間の差分

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彼の下した判決で最も著名なものは、[[マーベリー対マディソン事件|マーベリー対マディソン判決]]である。連邦法に対する違憲立法審査制度の原理は、マーシャルの「憲法に反する法律は法ではない」という法廷意見によって端的に表された。当時までの連邦最高裁判所においても連邦法の合憲性を判断する事例は存在したものの、違憲としたことは初めてであり、その理論づけを彼が法廷意見において詳細に述べた(いわゆるMarshall's Opinion)ところに価値がある。つまり、マーシャルの判決により、理論的な意味において、連邦最高裁判所に[[違憲審査制|違憲立法審査権]]が確立されたのである。
 
その後、独立間もない[[アメリカ合衆国]]は、それぞれの地域の権益によって引き裂かれる恐れにしばしばさらされた。マーシャルは再三にわたって[[合衆国憲法]]の条項を広く解釈し、一定の分野において州政府に対する[[連邦政府 (アメリカ)|連邦政府]]の優位を確保した。今日最も重要な憲法の解釈の多くは、マーシャルが解釈したものであり、後世においても、最も著名な連邦最高裁判所長官となった。
 
マーシャルが連邦最高裁判所長官を務める間、5人の大統領が入れ替わることになった。就任当初は、[[トマス・ジェファソン]]大統領との間に争いがあったものの、その後は連邦政府内で徐々に安定した判決の支持を得て、最高裁の地位を高めていった。しかし、晩年は、[[アンドリュー・ジャクソン]]大統領による[[ジャクソニアン・デモクラシー]]の興隆と州権論の隆盛を前にして、彼の法的安定性と中央集権を志向する諸判決が徐々に力を失ってゆくのを目の当たりにすることになる。彼はおよそ35年間連邦最高裁判所長官を務めて、1835年7月6日に死去した。