「相賀武夫」の版間の差分

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生家が没落して貧しかったため、[[小学校]]卒業後は書記見習として農学校に就職。2年後に[[岡山市]]の吉田書店に移り、さらに2年後、同書店で新しく設けた東京出張所の主任に任じられて上京([[1914年]])。
 
23歳で[[結婚]]。[[1922年]]、吉田書店店主[[吉田岩次郎]]の承諾により[[東京市]]神田区錦町に[[小学館]]を創業。同年[[9月7日]]、学年別学習雑誌である[[小学館の学年別学習雑誌|「小学五年生」「小学六年生」]]を創刊。当初は赤字が続いたが、[[1923年]]4月号から黒字に転じる。
 
1923年[[9月1日]]、[[関東大震災]]にあって大きな打撃を受けたが、休まず雑誌を刊行。[[1926年]]には、小学館から娯楽誌出版部門を分離独立させ、[[集英社]]を設立。しかし過労がたたって[[1929年]]夏から病床生活を余儀なくされ、夫婦で[[日蓮宗]]に帰依する。[[1931年]]、祥宏と改名。