「エドワード・マイブリッジ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Xqbot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: eu:Eadweard Muybridge
Halo1331 (会話 | 投稿記録)
m 全角数字の除去など
1行目:
[[Imageファイル:Muybridge-2.jpg|right|250px|thumb|エドワード・マイブリッジ]]
[[Imageファイル:The Horse in Motion.jpg|right|250px|thumb|疾走中の馬の連続写真]]
[[Imageファイル:Muybridge race horse animated 184px.gif|thumb|right|200px|上記連続写真をアニメーションにしたもの]]
 
'''エドワード・ジェームズ・マイブリッジ'''('''Eadweard J. Muybridge''' [[1830年]][[4月9日]] - [[1904年]][[5月8日]])は、[[イギリス]]出身の[[写真家]]。
9行目:
==高速度撮影==
 
[[1872年]]、元カリフォルニア州知事[[リーランド・スタンフォード]]は、当時一般に議論されていた、[[ギャロップ]]する馬の脚運びについて、4本全ての脚が地面から離れる瞬間があるという立場をとっていた。
彼は友人との間でこれについて賭けをしており、最高で25,00025,000ドルの勝負であったという話もあるが、確たる証拠はない。
スタンフォードはマイブリッジに2,000ドルで写真の撮影を依頼した。
 
17行目:
写真用レンズについては[[1843年]]には[[フォクトレンダー]]父子商会から、ペッツバールタイプF3.7が販売されていたが、感光材料である[[コロジオン]]湿板は感度が低く、晴天の日でも秒単位の露出時間を要した。
 
彼は写真感度向上のための化学研究を行い、電気技師のジョン・D・アイザクスと協力して写真装置を制作、結局5年と5,000ドルを費やし、[[1877年]]の[[7月1日]]に一枚の写真を撮影、議論に決着をつけた。
 
==連続写真==
54行目:
[[1882年]]に出版された本をめぐって争いが生じた。
 
この本はスタンフォードの友人で医師のJDB・スティルマンによって書かれたもので、馬の脚運びに関する発見についてまとめたものだった。
しかし、この本にはマイブリッジの写真は掲載されておらず、タイトルページにも名前はなく、スタンフォードに雇用された者という位置づけであった。
マイブリッジは名誉棄損でスタンフォードを訴えたが、マイブリッジが自分の功績を強調し、馬が走るときに4本の脚が全て地面から離れるということも自分が最初に言い出したことであるとまで主張したため、裁判所は訴えを退けた。
76行目:
*[[写真史]]
{{commons|Eadweard Muybridge}}
 
[[Category:イギリスの写真家|まいふりつち えとわあと]]
{{デフォルトソート:まいふりつち えとわあと]}}
[[Category:イギリスの写真家|まいふりつち えとわあと]]
[[Category:ニューメディア・アーティスト]]
[[Category:1830年生|まいふりつち えとわあと]]
[[Category:1904年没|まいふりつち えとわあと]]
 
[[bs:Eadweard Muybridge]]