「女工哀史」の版間の差分

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あまりに不正確な部分を削除し、最低限の変更を行いました。士族云々というのは、富岡製糸場のことでしょうか。
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==概要==
)たち[[紡績]]工場で働く女性労働者過酷な生活克明に記録されているしたルポルタージュ。またこれによって世に知られるようになった過酷な労働それ自体についてもこの語が用いられるようになった。
[[紡績]]工場で働く女性労働者([[女工]]<ref>明治10年頃までは旧士族の子女が多かったが、それ以降は貧農出身の子女が大半を占めた。</ref>マイナスのイメージで捉えられることが多いが、当時の時代背景と照らし合わせると、貧農の収入より高所得で、滅多に口に出来ない米飯を食べる余裕も得られたことを家族に自慢する手紙が見つかるなど、決して労働搾取でもなかったようである。
 
)たちの過酷な生活が克明に記録されている。またこれによって世に知られるようになった過酷な労働それ自体についてもこの語が用いられるようになった。
自身の機械工としての経験と、妻としをの紡績工場での労働経験を基本とした記述という面からは、この著作は、細井和喜蔵と妻としをの共同作業の産物ともいえる。 
 
現代においても、日本での「[[外国人研修制度]]」<ref>[http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1756016/detail 現代の女工哀史生む研修制度]</ref>
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*[[蟹工船]]
*[[あゝ野麦峠]] - 『女工哀史』当時の製糸工場の女工たちをテーマに描いた[[山本茂実]]の小説
*[[私の「女工哀史」]] -  高井としを
*[[働く女性]]