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FX-V (会話 | 投稿記録)
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| 父母 = 父:[[徳川家斉]]、母:[[本性院]]
| 兄弟 = [[徳川家慶|家慶]]、[[徳川敦之助|敦之助]]、[[徳川斉順|斉順]]、[[徳川斉明|斉明]]、[[徳川斉荘|斉荘]]、[[池田斉衆|斉衆]]、[[松平斉民|斉民]]<br />[[徳川斉温|斉温]]、[[松平斉良|斉良]]、'''斉彊'''、[[松平斉善|斉善]]、[[蜂須賀斉裕|斉裕]]、[[松平斉宣|斉宣]]、他多数
| 妻 = 正室:[[近衛忠熙]]の娘・'''豊子'''([[観如院]])<br />側室:[[斎藤平九郎]]の娘、[[南条権之丞|南条権之丞]]の娘
| 子 = 龍千代、辰次郎、延姫、玽姫、鎤姫、秋姫、<br />養子:'''''[[徳川家茂|慶福]]'''''、養女:''[[利姫]]''([[浅野慶熾|浅野慶熾]]室)
| 特記事項 =
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当初[[水戸徳川家]]の[[徳川斉脩]]の養子になる話もあったが、[[水戸藩]]士の猛反対にあって実現しなかった。文政10年([[1827年]])、[[御三卿]]の一つである[[清水家]]当主の[[徳川斉明]]が死去したので、清水家を継いだ。
 
[[弘化]]3年([[1846年]])、先々代清水家当主にして異母兄でもある紀州藩主の[[徳川斉順]]が死去する。隠居として健在であった前藩主[[徳川治]]は[[松平頼学]]擁立を幕府に要請するが、これを治への中傷を交えて[[水野忠央]]が潰した。
 
水野忠央が甥でもある[[徳川家慶]]の子を紀州藩主に擁立することを懸念した紀州藩士の働きかけもあって、斉順の養嗣子として紀州藩主を継いだ。しかし、落雷で[[和歌山城]]の天守閣が焼失など、治世は多難を極めた。嘉永2年(1849年)3月1日(同年3月27日とも言われている)に30歳の若さで死去した。養嗣子としていた亡兄・斉順の子、後に14代将軍となった[[徳川家茂|徳川慶福]]が継いだ。
 
== 経歴 ==