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'''カール・フレンゼル'''(Karl Frenzel [[1911年]][[8月28日]]‐died 2nd- september 1996)[[1996年]][[9月2日]])は、[[ナチス・ドイツ]][[親衛隊 (ナチス)|親衛隊(SS)]]の[[下士官]]。最終階級は[[親衛隊曹長]](SS-Oberscharführer)。[[グスタフ・ワグナー]]と並んで[[ソビブル強制収容所]]の悪名高い看守の一人。
 
== 略歴 ==
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ソビブルでの彼はグスタフ・ワグナーに次いで残虐な看守として囚人たちから恐れられていた。駅に到着したばかりのユダヤ人を働かせる者とガス室に送る者の選別をする作業もワグナーとフレンゼルに任せられていた。1943年10月の囚人の大脱走の際にはSS看守が囚人たちに多数殺害されたが、フレンゼルは生き残っている一人である。この騒ぎでソビブル強制収容所が閉鎖されたのちはイタリアへ送られ、パルチザン狩りに従事した。
 
戦後は[[ミュンヘン]]近くの米軍の捕虜収容所に入れられていたが、1945年11月には釈放された。[[ゲッティンゲン]]の撮影スタジオで働いていたが、やがてソビブルでおこなったユダヤ人への虐殺行為が露見し、1962年に西ドイツ警察により拘留された。その後、1966年に終身刑判決を受けた。しかし健康状態が悪化したため1982年に釈放された。その後、再度終身刑判決を受けたが、やはり健康状態が悪いので執行はされなかった。現在晩年は[[ハノーファー]]の老人ホームで暮らしている、1996年に死去した。「もう一度よく考えてみると自分は有罪だと感じる。我々は当時悪事を行ったのだから。ユダヤ人をめぐる出来事のすべてが犯罪だった。自分がそれに加担したことを私は残念に思う」と反省の弁を述べた<ref>グイド・クノップ著、高木玲訳『ヒトラーの親衛隊』(原書房)265ページ。ISBN 978-4562036776
</ref>。
 
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[[Category:ホロコースト]]
[[Category:1911年生]]
[[Category:1996年没]]
 
[[da:Karl Frenzel]]