「無外流」の版間の差分

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最盛期には大名小名30数家、直参150人あまり、陪臣にいたっては1000人以上もの門人が集まり、日本全国に広まった。[[土佐藩]]では上士の学ぶ剣法とされ、幕末に活躍した「[[幕末の四賢侯|四賢侯]]」の一人、[[山内容堂]]もこの流儀を学んでいる。[[大正]]期の剣の達人、[[高野佐三郎]]、高橋赴太郎、川崎善三郎の「三郎三傑」のうち、高橋、川崎も無外流の使い手である。しかしながら長い歴史のある無外流剣術は途絶えてしまった。
 
[[池波正太郎]]『[[剣客商売]]』で登場人物の秋山小兵が無外流を使う。
== 自鏡流居合 ==
月丹は自鏡流居合の祖・多賀自鏡軒盛政について自鏡流居合を学んだ。