「自然災害伝承碑」の版間の差分

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== 実例 ==
=== 津波災害 ===
[[1933年]]の[[昭和三陸地震]]の津波による被害を受けた[[三陸海岸]]地域では、[[地震学]]者の[[今村明恒]]の助言により、津波体験の風化を防ぐ啓蒙的手段の一つとして、津波記念碑の建設がなされた。[[朝日新聞|東京朝日新聞]]を窓口とする指定義援金がその建設費用に充てられ、約200基の津波記念碑の多くがこうして建てられた<ref>山下文男『津波てんでんこ―近代日本の津波史』新日本出版社、[[2008年]]。ISBN 9784406051149</ref>。
 
中でも[[岩手県]][[宮古市]]の姉吉地区では、[[1896年]]の[[明治三陸地震|明治三陸大津波]]、および前述の昭和三陸大津波で二度にわたって集落全滅に近い被害が生じた経験から、「此処より下に家を建てるな」という教訓の碑が建てられた。以後、住民は石碑の教えを守り、坂の上に住宅を建てて生活していた。[[2011年]]の[[東日本大震災]]の際にも大規模な津波が発生したが、津波は石碑より海側で止まり、人的被害は集落外に出ていた4人の行方不明に留まった<ref name="miyako">{{Cite web | url =http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20110403_11 | title = ここより下に家を建てるな 宮古、集落守った石碑 | publisher = 岩手日報 | date = 2011-04-03 | accessdate = 2011-04-03}}</ref>。{{main|大津浪記念碑}}
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<!-- * 記念碑名(所在地、災害の概要) - 特記事項 -->
* 雲仙岳災害記念碑([[長崎県]][[島原市]]、火砕流)
* 桜島爆発記念碑([[鹿児島県]][[鹿児島市立東桜島小学校]]) - 「科学不信の碑」として知られる。{{main|桜島爆発記念碑}}
 
== 出典 ==