「アジュダ宮殿」の版間の差分

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宮殿はアジュダ地区にあり、1755年の[[1755年リスボン地震|リスボン地震]]でリベイラ宮殿が崩壊したあとに[[ジョゼ1世 (ポルトガル王)|ジョゼ1世]]により建てられた、木造のかつての王室兵舎だった。この木造建築は[[マリア1世 (ポルトガル女王)|マリア1世]]治下の1794年に火事で全焼し、建築家マヌエル・カエターノ・デ・スーザによる[[バロック]]・[[ロココ]]様式建築の新しい宮殿に生まれ変わった。この時から、典型的なバロック風の窓が宮殿の塔の低層部分についている。
 
1802年、ポルトガル人建築家ジョゼ・ダ・コスタ・エ・シルヴァと[[イタリア人]]建築家[[フランシスコ・クサヴィエル・ファブリ]]の、モダンなネオクラシカル様式の壮麗な建物の計画が信任された。1807年、ブラガンサ王家は[[半島スペイン独立戦争]]の余波による[[フランス]]軍侵攻を避けるため[[ブラジル]]へ亡命し、建設計画は非常に遅く進み、のちファブリからアントニオ・フランシスコ・ロサへ引き継がれた。財政難のため、建設計画は一定の尺度に従い縮小された。
[[Image:Ajuda-IPPAR1.jpg|thumb|left|300px|冬の庭園]]