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{{韓国の事物 (画像付)|
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|title= 崇礼門
'''崇礼門'''(スンネムン、すうれいもん)は[[大韓民国]]の首都[[ソウル特別市|ソウル]]の中心部にある[[門]]で、同国の国宝第1号に指定されている。城壁都市であった当時の漢城(ハンソン)には、門が4箇所があったが、最も規模が大きいのはこの崇礼門である。一般的には'''南大門'''(ナムデムン)の愛称が良く知られ、ソウル庶民の台所[[南大門市場]](ナムデムンシジャン)の名称もここに由来する。ソウル、さらには韓国を代表する建築物として有名。
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|hanja= 崇禮門
|katakana= スンネムン
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'''崇礼門'''(スンネムン、すうれいもん)は[[大韓民国]]の首都[[ソウル特別市|ソウル]]の中心部[[中区 (ソウル特別市)|中区]]にある[[門]]で、同国の国宝第1号に指定されている。城壁都市であった当時の漢城(ハンソン)には、門が4箇所があったが、最も規模が大きいのはこの崇礼門である。一般的には'''南大門'''(ナムデムン)の愛称が良く知られ、ソウル庶民の台所[[南大門市場]](ナムデムンシジャン)の名称もここに由来する。ソウル、さらには韓国を代表する建築物として有名。
 
==歴史・概要==
[[1398年]]に都の城門として建てられた後、[[1448年]]に大きく改築された。その後の長い間、都の正門としてその役割を果たしたが、[[1908年]]、街路整備のために両側に続いていた城壁が撤去され、門だけが道路に孤立する形で残された。[[朝鮮戦争]]ではソウルの大部分が破壊されたが門だけは焼失を免れた。戦後、門の立ち入りは禁止されて近づくことも困難だったが、[[2005年]]5月からは門の南側に芝生の広場が造成されたのに伴いその雄姿を再び間近で見ることができるようになった。韓国で最も古い[[木構造 (建築)|木造建造物]]である。
 
==外部リンク==
*[http://www.visitseoul.net/japanese_new/see/cen_site_07.htm ソウルの名所 崇礼門(ソウル特別市文化局観光課)]
 
[[Category:ソウル特別市|すんねむん]]
[[Category:門|すんねむん]]
 
[[de:Namdaemun]]
[[en:Sungnyemun]]
[[ko:숭례문]]