「エドガー・ドガ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
たまには血液以外のことも編集してみる。実はバレエは趣味
ドガとバレエ、校正
12行目:
また、ひどく気難しく皮肉屋な性格のため画家仲間との衝突が絶えなかったが、晩年は[[ドレフュス事件]]で有罪を主張したために[[エミール・ゾラ|ゾラ]]などの数少ない友人を失ってしまったという。
==ドガとバレエ==
ドガの作品にはバレエを扱った主題、ことに楽屋や練習風景、舞台袖と言った一般人では出入りできない場所での場面を描いたものが多い。銀行家の息子で印象派の多くの画家たちとくらべれば、銀行家の息子であり経済的に余裕な家庭の出身であったドガは、バレエが好みで[[パリ・オペラ座]]の定期会員になっていた。定期会員は座席を年単位で購入する仕組みで、定期会員は特権的権利でオペラ座の楽屋や稽古場に自由に立ち入ることが許されていた(現在では20世紀半ばにその仕組みは無い廃止された)。当時、オペラ座の一般会員は上流階級の社交場でもあったので、父の逝去後経済的には苦しくなった後にもドガは一般会員を続けていたものと思われる。ドガの描いたバレエの主題の多くはそこで見た風景である<ref name="moriyamap20">守山実花『魅惑のドガ エトワール物語』p.20</ref>。
 
ドガの通った時代はクラシックバレエやモダンバレエがまだフランスには紹介されていず、フランスはロマンチック・バレエの時代でドガの作品のバレエ風景はすべてロマンチックバレエの風景となっている<ref name="moriyamap20">守山実花『魅惑のドガ エトワール物語』p.20</ref>
 
また、パリ・オペラ座の側でもドガに敬意を払い、ドガが1881年に発表した彫刻「14歳の小さな踊り子」をモチーフにしたバレエ作品を2003年ドガも通った[[ガルニエ宮|ガルニエ宮殿]](宮殿といっても王様の住まいではなく、劇場である)で初演している<ref name="moriyamap22">守山実花『魅惑のドガ エトワール物語』世界文化社、2010年p.22</ref><ref name="moriyamap34-39">守山実花『魅惑のドガ エトワール物語』p.34-39</ref>。
 
== 代表作 ==
41行目:
<references/>
==参考文献==
家庭画報特別編集 守山実花著『魅惑のドガ エトワール物語』世界文化社、2011年、ISBN 978-4-418-10225-9
== 関連文献 ==
* [[ポール・ヴァレリー]] 『ドガ ダンス デッサン』([[清水徹]]訳 [[筑摩書房]]) ヴァレリーは弟子、旧訳は[[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]