「アンナ・マクダレーナ・バッハ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Amirobot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: he:אנה מגדלנה באך
編集の要約なし
13行目:
バッハとは、共通する音楽への関心によって結ばれ、幸せな家庭生活を送ったとされており、しばしばバッハの浄書稿や筆写譜の作成に協力した。このためアンナの筆跡は、時を経るにつれて、次第に夫のそれと似るようになったと言われている。
 
バッハの死後1750年には、成人した息子たちはそれぞれ独立しており(未成年のクリスチャンは裕福な次男[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|カール・フィリップ]]に引き取られた)、アンナは二人の未婚の娘と同居を続けた。娘たちはアンナに尽くしたが、自立した息子たちから経済的に援助を受けていたという形跡は見られない。ず、当時の音楽家の妻が寡婦になり、困窮したときのに従って、慈善団体ライプツィヒ市当局やライプツィヒ大学からの施しや市参事会支援、臨時すがってより慎ましく余生を送ったとされている。バッハの息子たちとは音信不通になっていたらしく、義母ようであるいは実母の窮状を知る者はいなかったようだ
 
== アンナ・マクダレーナ・バッハの音楽帳 ==