「2000年大阪府知事選挙」の版間の差分

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'''2000年大阪府知事選挙'''(-ねん おおさかふちじ せんきょ)は、[[大阪府]]の執行機関である[[大阪府知事]]を選出するため、[[2000年]][[2月6日]]に投票が行われた[[日本]]の[[地方選挙]]である。
 
== 概要 ==
前年12月に、当時の府知事である[[横山ノック]]が[[強制わいせつ罪]]で起訴されたことを理由に知事職を辞任したことに伴って実施された選挙である。前回選挙まで大阪知事選挙は[[統一地方選挙]]の日程で実施されてきたが、今回の選挙によって以後は統一地方選挙では実施されなくなった。今回の選挙戦は、[[|自民党]][[公明党]]及び[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]][[民主党]]など与野党が推薦した元官僚の[[太田房江]]、[[日本共産党|共産党]]が推薦する大学名誉教授の[[鰺坂真]]、自民党大阪府連が推す学校法人専務理事の[[平岡龍人]]の事実上3候補による争いとなった。そして投開票の結果、与野党相乗りの太田候補が全国で初めての女性知事として初当選を果たした。
;日程
:告示日:1月20日
:投票日:2月6日
 
== 立候補者 ==
本大阪府知事この選挙に立候補したものは以下の4名である。事実上、太田・鰺坂・平岡の主要3候補による争いとなった。
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:出典:2000年1月20日付朝日新聞夕刊1面「大阪府知事選 4氏届け出」内の「大阪府知事選届け出候補」、『縮刷版』2000年1月号1001頁。
早々と、前年991999年の府知事選挙に出馬した鰺坂候補を擁立した共産党に対し、自民党や公明党、民主党は「非共産相乗り」で太田候補を擁立した。しかし独自候補の擁立にこだわった自民党大阪府連は党本部による頭越しでの太田の擁立決定に反発して、1月10日に独自候補の擁立を決定し、平岡を擁立したことで「非共産勢力」は分裂選挙となった。一方の民主党は[[鳩山由紀夫]]代表(時)が当初、自民・公明など政権与党との相乗りには難色を示したものの、結局地方組織に押し切られる形で太田の推薦を決定した<ref>2000年1月11日付朝日新聞2面「大阪府知事選 頭越し、自民府連反発」、『縮刷版』2000年1月号470頁。</ref>。
 
== 選挙結果 ==
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|}
:出典:2000年2月7日付朝日新聞1面「太田氏、初の女性知事」内の「確定得票」。『縮刷版』2000年2月号309頁
投開票の結果、自民党や公明党、民主党など共産党以外の政党が推薦した太田が、鰺坂と平岡を抑えて初当選を果たした。当選した太田は、[[関西経済連合]][[日本労働組合総連合会|連合]]大阪など経済界や労働組合からの支持を得たばかりでなく、公明党の支持母体である[[創価学会]]からの全面的な支援を受け、無党派層からも女性を中心に一定の支持を得た。前年の知事選挙で92万票あまりを獲得し、再度の出馬となった鰺坂は「自自公」批判票を取り込み、無党派層では47%<ref>朝日新聞社が実施した出口調査による。2000年2月7日付朝日新聞3面「太田氏、無党派層は苦戦」の表「どんな支持層から」。</ref>で首位に立つなど善戦したものの基礎票で勝っている太田に36万票差で敗れた。そして平岡は政党相乗りや中央官僚への批判を展開したが、太田と鰺坂の戦いに埋没する形となり、自民党支持層に浸透しきれなかった。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 出典 ==
* 朝日新聞社『「朝日新聞」[[縮刷版]]』2000年1月号、2月号。
 
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{{Pref-stub|pref=大阪府}}
{{大阪府の選挙}}
[[category:大阪府知事選挙|2000]]
[[category:2000年日本の選挙|おおさかちしせんきよ]]