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'''一尾伊織'''(いちお いおり、[[慶長]]4年([[1599年]]) - [[元禄]]2年[[3月13日 (旧暦)|3月13日]]([[1689年]][[5月2日]]))は、[[江戸時代]]初期の旗本、[[茶人]]。一尾通春の子。母は[[大友吉統]]の娘。名は'''通尚'''。号は徹斎、宗碩、一庵、照庵。
 
一尾氏は、[[久我通堅]]の次男三休が一尾庄に住したことに初まり、その孫が伊織である。[[寛永]]10年([[1633年]])に父が没し、翌年父の遺領のうち1,000石を相続し[[書院番]]となった。その後職を辞し小普請となった。[[貞享]]元年([[1684年]])7月19日に致仕し、徹斎と号す。[[細川忠興]](三斎)家臣の[[津川辰珍|津川四郎左衛門]]に茶道を学び、'''[[三斎流|三斎流一尾派]]'''を創始した。竹の花筒、茶杓の製作に秀いで、琵琶を製作という。元禄2年、91歳で没した。著作に「一尾流之書」などがある。弟通利の子通命を娘の婿として迎えるが早死にし、その子で孫の通門を養子にするがこれも夭折した。土井甲斐守家臣の大野市左衛門定秀の子の通定が伊織の養子となり家督を継いだ。
 
== 参考文献 ==