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世界記憶遺産の登録
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本名は、ジャラールッディーン・アブー・ムハンマド・'''イルヤース・イブン・ユースフ'''(Jalāl al-Dīn Abū Muḥammad Ilyās Ibn Yūsuf)。現在の[[アゼルバイジャン]]の[[ギャンジャ]]で生まれる。父親は現在の[[イラン]]の[[コム (都市)|コム]]の出身とも伝えられ、母親ライーサは[[クルド人]]であったという。生涯に三人の妻を娶り、ダルヴァンドの王より下賜されたキプチャク出身の女奴隷でアーファークという女性を妻として迎え、これを熱愛したことがのちの作品群に大いに影響を与えたという。ムハンマドという男児を儲けたことが作品中に語られている。ニザーミーの生地ギャンジャをはじめとするアッラーン、アーザルバーイジャーン地方は、[[セルジューク朝]]系の[[アタベク]]政権[[エルデニズ朝]]の支配下に有ったが、ニザーミーはタブリーズのエルデニズ朝などの各地の宮廷に詩を献呈したものの、生涯、生地のギャンジャを愛して離れずこれらの宮廷に仕えることは無かったという。
 
代表作は、ユネスコの[[世界記憶遺産]]に登録された<ref>{{Cite web
代表作は、五編からなる長篇叙事詩、『五部作』(ハムセ خمسه Khamse)または『五宝』(パンジュ・ガンジュ پنج گنجPanj Ganj)と呼ばれる作品群で、それぞれガンジャ周辺の王侯貴族たちに献呈された物である。これらの作品群のうち、『ホスローとシーリーン』、『[[ライラとマジュヌーン|ライラーとマジュヌーン]]』などは後世に挿絵本が流布するなどペルシア語文学や絵画に大きな影響を残している。
|author=unesco
|date=2011.5|url=http://www.unesco.org/new/en/communication-and-information/flagship-project-activities/memory-of-the-world/register/full-list-of-registered-heritage/registered-heritage-page-2/collection-of-nezamis-panj-ganj/|title=Collection of Nezami’s Panj Ganj(英語) |accessdate=2011.5.30
代表作は、}}</ref>五編からなる長篇叙事詩、『五部作』(ハムセ خمسه Khamse)または『五宝』(パンジュ・ガンジュ پنج گنجPanjگنج Panj Ganj)または『五部作』(ハムセ خمسه Khamse)と呼ばれる作品群で、それぞれガンジャ周辺の王侯貴族たちに献呈された物である。これらの作品群のうち、『ホスローとシーリーン』、『[[ライラとマジュヌーン|ライラーとマジュヌーン]]』などは後世に挿絵本が流布するなどペルシア語文学や絵画に大きな影響を残している。
 
== 作品 ==
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*『ホスローとシーリーン』ニザーミー著、岡田恵美子訳、平凡社、1977年6月。(東洋文庫 310)
*『ライラとマジュヌーン』ニザーミー著、岡田恵美子訳、平凡社、1981年2月。(東洋文庫 394)
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==